『あなたの人生の物語』
テッド・チャン
浅倉久志・他訳
ハヤカワ文庫SF
 “いま・ここ”で「われ在り」と認識していることに驚異と不条理とを見るところから、すべての表現行為ははじまるのではないかと思う。もし文学に、科学にいう要素還元主義があるとしたら、文学の最小単位は“認識”という営為そのものだろう。豊かな感情も明晰な思考も、あらゆる精神活動は、没個性的な最小単位の“認識”の複雑な相互作用から創発されていることは疑いようのない帰結だ。テッド・チャン『あなたの人生の物語』(浅倉久志・他訳/ハヤカワ文庫SF/九四○円)に収められた八篇の物語は、一見、不揃いな宝玉を無雑作に並べたようでいて、いずれの作品にも“認識”を認識しようとする大胆かつ繊細な精神が通底している藝術品。チャンの目下の全集であると同時に傑作集(!)である。SFジャンルに於ける当代最高の才能との評価を二分するグレッグ・イーガンと同じく、チャンの手つきも、さながら“文学の素粒子物理学者”とでもいうべきものだ。科学的思考で人間存在を成立ぎりぎりの地平まで解体してゆく。が、少なくとも短篇なら、テーマと形式とアイディアとを不可分な必然として織り上げる語りの技巧で、チャンが優っている。地球に現れたエイリアンとのコミュニケートを試みる女性言語学者が、彼らの言語と共に驚異の世界認識をも身につけてゆく表題作は、血の通った冷徹さが、せつなく深い感動を呼ぶ奇跡的な傑作。SFの醍醐味に目も眩む、十年に一度の書である。

『第六大陸1』
『第六大陸2』
小川一水
ハヤカワ文庫JA
 内宇宙探求派のチャンに対し、小川一水『第六大陸1・2』(ハヤカワ文庫JA/各六八○円)は、月面に商業施設を建設する民間企業のプロジェクトを緻密に描く外宇宙派の快作。宇宙進出自体をものものしく見せるのではなく、あくまでも極限環境下の建設事業を中核に据えた“プロジェクトSF”にしている点が、いまこそ新鮮だ。風呂敷の畳みかたがやや慌ただしいが、技術者魂の横溢する人間群像と、“民”らしい技術的アイディアの数々に、宇宙開発好きは酔いしれるはずだ。

[週刊読書人・2003年10月10日号]

(C)冬樹蛉



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