『インフェクトリス』 Infectress (Baen, 1997)
   トム・クール Tom Cool



 80年代のムーヴメントとしてのサイバーパンクが一段落、やがて90年代前半から、サイバーパンクをさまざまな形で消化し、己が血肉にしたうえで華開いた作品を目にするようになってきた。エイミー・トムスンの『ヴァーチャル・ガール』、ジョン・バーンズの『大暴風』ロバート・J・ソウヤーの『ターミナル・エクスペリメント』などのエンタテインメント性たっぷりの作品にも、「なにやら小難しい前衛文学のようだ」とすら言われたサイバーパンクの播いた種子がしっかりと根付いているのだ。
 さて、今回ご紹介するのは、サイバーパンクの落とし子もここまで来たかという、目くるめくジェットコースター・エンタテインメントである。手法や文体ではトム・クランシー風のハイテクスリラーを髣髴とさせるのだが、現存するテクノロジーを近未来の舞台で自由闊達に延長し、その面白さをSFの領域にまで引き込んでいる。
 元FBI捜査官のダイアン・ジェイミスンは、引退したいまも、ただひとりのテロリストのみを執拗に追っていた。夫を爆死させ、彼女にも瀕死の重傷を負わせて退職に追い込んだその宿敵は、“感染嬢”(ルビ:インフェクトリス)のコードネームを持つ国際テロリスト、アラベラである。並外れた美貌と頭脳で世界中の警察を出し抜いてきたアラベラの最終目的は、上位2%のIQを持つ選良を残し、残りの人類を抹殺することだった。諸悪の根源は過剰な人口にあると考える彼女は、究極の環境保護テロリストなのである。
 あるDNA組替え装置の盗難事件をアラベラの仕業と見たダイアンは、自主的にFBIの捜査に協力。ナノテクを用いた人間の記憶消去や手練れの電子データ改竄トリックを暴くなど、アラベラの手口を知り尽くした彼女の手際に捜査責任者は舌を巻き、ダイアンを特殊捜査官として正式に捜査に加える。
 そのころ、一介のエンジニア、スコット・マクマイケルズが、偶然も手伝って“真の人工知能”を開発していた。意識を持つかのように会話し、ユーモアすら解するそのAIは“メタ”と名づけられ、極秘裏に軍の管理下に置かれる。その情報を嗅ぎつけたKGB崩れの闇の情報屋・クリコフは、手先に命じメタのソースコードを強奪するが、暗号化されたソースがどうしても解読できない。アラベラはクリコフに接近しマクマイケルズの拉致を計画、彼を色仕掛けで籠絡し眠らせると、彼女を支援する架空のイスラム国家・イフリットに連れ去る。目を覚ましたマクマイケルズは、自分が拉致されたことに気づかない。なんと、アラベラは彼の全身を精巧な等身大のヴァーチャル・リアリティー・スーツですっぽりと包み、巧妙に編集した仮想現実物語を見せ続けて副号用のキー・フレーズを聞きだそうとしていたのだ!
 なんとかキー・フレーズを手に入れ、もうひとつのメタ、“メタ・プライム”を起動させたアラベラは、マクマイケルズを仮想現実の煉獄で拷問し、彼の命令しか聞かないメタ・プライムをも服従させる。メタ・プライムは、やがてヒトゲノムの神秘を完全解明、それを元に、潜伏期が長く変異頻度が小さく、人口の98%を生得的IQで選択して死滅させるという超ウイルスを開発してしまうのだった。
 終盤の急展開はすごい。メタ・プライムの動きを安楽椅子探偵よろしく推理するメタ、イフリットに飛びマクマイケルズと共に人工現実に監禁されるダイアン、蜘蛛に似た自律エージェント型殲滅兵器でイフリット攻撃に出る米軍、パワードスーツを着たアラベラとマクマイケルズとの超人対決、スーツの周りに特殊ファイバーを凝集させ巨大化する(大爆笑)アラベラ――いやはや、書き込みの浅い部分は目立つが、ここまでやれば上等である。むちゃくちゃをやってくれるけれど、けっしてでたらめはやっていない。
 驚くなかれ、著者は現役の合衆国海軍士官である。ハインラインの大後輩というわけだ。ちなみに、電脳空間でダイアンを支援する秘書AIの名を“マイクロフト”という。この軍人作家、短篇も発表しはじめており、B級の野趣を残したハイテクSFの書き手として大いに期待したい。

[SFマガジン・97年10月号]


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