教会が伝えなければならないテーマ
 教会が伝えなければならないテーマとその内容のものとは何かと考えてみれば、
 それはまぎれもなく、人間の ” 罪 ”という事柄なのです。
 しかし、現代の日本のキリスト教の事情からすれば、
 もっとも語られず、また伝えられていない内容のものなのかもしれません。
 罪とは・・・すなわち「 原罪 」・・ゲンザイ・・
 人間が生まれながらに負っている性質のことなのです。
 ひとりの例外もなく、抗い難く、自分の知恵や力では取り除くことのできない、
 生まれながらに負っている罪のことなのです。
 この世界を造られた創造主なる神・・・、
 わたしたち人間をも造られた神・・・、
 世界も人間も素晴らしいものとして創造された神にたいして、
 被造物である最初の人間が、
 その創造主なる神に背いてしまったことにより、
 最初の人間に続くすべての人類に罪が入ってしまったのです。
 人間の現実の姿を見てみても・・・、
 さまざまに問題を抱えてしまった人間。
 どのようにして人間が苦境に追い込まれたのか・・・・。
 つまり、人間の苦境のみなもとは何であるのか・・・。
 だから、その苦境からの救いという事柄が語られなければならないのです。
 その救いの出来事こそ、
 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事・・・。
 そして復活・・。
 神のひとり子イエスの、生と死と復活という出来事なのです。
 イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)のわざ・・・なのです。
 それこそが福音であり、私たちにとっての良き知らせなのです。
 何から救われなければならないのか・・・。
 それはまぎれもなく、創造主なる神の、
 被造物としての私たち人間への裁きからの救いなのです。
 「そして、一度だけ死ぬことと、
 死んだ後さばきを受けることとが、
 人間に定まっているように、」
 (新約聖書・ヘブル人への手紙・9章27節・口語訳聖書)
 素晴らしいものとして造られた人間が、
 創造主なる神に背いてしまったことにより、
 罪深い性質を 生まれたときから背負ってしまった人間・・。
 私たちがときどき罪を犯すから罪深いのではなく、
 常に罪深から、ときどき罪を犯すのです・・・。
 私たち人間の姿を見れば、
 神の真理を偽りと取り代えてしまった人間たち・・・。
 造り主の代わりに造られた物をありがたがって崇拝さえする人間たち・・・、
 その誤りにたいする当然の報いを、私たち人間は受けるのです・・・。
 「神の真理を偽りに替え、
 造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。
 造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。」
 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章25節・新共同訳聖書)
 イエスは答えて言われた、
 「よくよくあなたに言っておく。
 だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
 (新約聖書・ヨハネによる福音書・3章3節・口語訳聖書)
 自分の知恵や力ではどうしょうもない人間・・。
 自分の力や知恵や行いによってでは救いを手にすることはできません。
 ただイエス・キリストに信頼をよせることだけが、
 滅びへとひた走っている私たち人間に残された、
 ただひとつの道、救いへの道筋なのです。
北白川 スー
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Wrote up: 12 April 2010.