心機一転、再出発のとき



わたしが働く職場は、とくに人間関係のトラブルが多いところかもしれません。
働いている者同士の人間関係に悩まされると言ったほうが正しいでしょう。
具体的な職種を言うことは控えておきましょう。
差し障りがあると困りますので。

景気が悪くなり、閉めざるを得なくなった自営業の方とか、
先の会社でリストラにあって、やむなく転職してきた方たちとか、
やむなく離婚した女性たち・・、
年金だけでは、とても暮らしていけないと・・・。

安全や衛生と言ったものに厳しい基準がある現場なのですが、
職種の名前からか、やさしい仕事のように見られているのか、気軽に求人に応募してくるようです。

職場の人間関係のトラブルの原因と言えば、
やはり、人間の持つ「かたくなさ」でしょうか。
固定観念にとらわれ、判断が自在にできず、
広い視野に立つことも、事の変化にも対処できない・・・・。
それなりに人生経験があり、
少なくとも培ってきた腕もあり、
自分なりの価値観を身につけてきたのかもしれません。

ですから、自分のやり方というものを押し通そうとしますので、
なかなか新しい職場や作業に合わせることができないのです。
自分のやり方を持ち出せば、途端にチームワークは乱れてきますし、
人間関係に現場に、「あつれき」や「きしみ」が増してきます。
皆がみな寛容ではありません。心が広いわけではありません。

それどころか、生産性や効率、品質に、安全性や衛生に、人の健康にさえ影響を与えてしまいます。

新しいレースに走ることになり、久しく並ばなかったスタートラインにもつき、
位置について、号砲一発、レースが始まりました。
大げさに言えば、心機一転、人生の再出発です。

聖書に次のような言葉があります。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
(新約聖書・マルコによる福音書1章15節・新共同訳)

いろいろと過去のいきさつはあるでしょうが、
ここは、自分の置かれた位置や立場が新しくされたこと知らなければならないのです。

過去の経験やものの見方ややり方の上に立って、
これから始まる物事をすすめて行こうとすれば、それはトラブルの根本的な原因となるでしょう。

キリスト教的に言えば、過去の自分の姿というものは、罪深い存在だったのです。
今までの罪深さを悔い改めて、新しくされたことを喜ばなければならないのです。

しかし、しかし、先の会社をリストラされた原因もそこにあったのかもしれません。
店を閉めた、やむなく廃業した、離婚した・・・、
そうしなければならなかったそもそもの深い原因がそこにあったのかもしれません。

新しい職場は、何を提供しようとしているのでしっょうか。
新しい職場は、何を新人に求めているのでしょうか。
その職業が、その職種が、人を求めているのであって、
自分の都合を職種に当てはめるものではないのです。

職業が人を求めているのであって、
決して人が職業を捜すのではないのです。
これは原理原則です。
しかし、なかなか理解されないものです。
自分の立場だけを中心にものを考えるならろ、新しい事業を起こさなければならないでしょう。

まわりが見えない人は、聞く耳を持っていない人は・・・。
新しい職場の全体の姿を見わたせるでしょうか、
自分に、何が求められているのか分かるでしょうか・・・。

キリスト信仰の基本は、
神の前にひざまづき、神の声を聞きながら、
困難であれ喜びであれ、いっさいの状況を、
すべてを神にうちあけ、いっさいのことを神にゆだねることにあります。

「かたくなさ」の対岸にあるのは「へりくだり」謙虚さでしょうか。

人間というものは、なかなか悟れないものです。

原理原則が明らかにされていない、また共有されていない場合、
人の持てるエネルギーは、また時間は、
人間関係のギクシャクに消費されてしまうものです。


北白川 スー

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Wrote up on September 23, 2015.