東北関東大震災とキリストの十字架
日本の歴史上、かつてない被害をもたらした地震と津波が東北関東地方をおそいました。
巨大地震と大津波による惨状は心を痛めます。
さらに、原子力発電の安全性の神話が、もろくもつきくずされました。
大自然の力の前には、私たち人間は、なんとも無力で弱い存在であることを見せ付けられました。
キリスト教の神は全能の神、あわれみの神なのに、
なぜ、私たち人間をこのような目にあわせるのか・・・・と、
お叱りを受けます。
「 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、
それはわたしの誇りにはなりません。
そうせずにはいられないことだからです。
福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。」
(新約聖書・コリントの信徒への第1の手紙・9章16節・新共同訳聖書)
聖書・バイブルは、
もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います・・、
と語っています。
イエス・キリストは語っています。
「 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの18人は、
エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。
わたしはあなたがたに言います。
あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
(新約聖書・ルカによる福音書・13章4〜5節・新改訳聖書)
この聖書の言葉を引用すれば、
このようなときに、なんとも不謹慎だとしかられます。
2000年前の出来事、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事・・。
神のひとり子イエス・キリストが十字架にかけられ死刑となり、
命をささげることにより、すべての人の罪を贖った(あがなった)という出来事は、
神の啓示であり、
救いの出来事であり、
すべての人間にたいするこの世界を造られた神の警告なのです。
・・「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」・・
イエス・キリストが十字架で死んだという出来事が語るのは、
この世界を造られた創造主なる神が、
被造物としての人間にたいして示された・・・。
イエス・キリストの十字架の出来事をきっかけとして、
神の望まれる方向へと、
私たちを良い方向へと導こうとされた、
神のあわれみの出来事なのです。
東北関東大震災は自然現象によって起きた災害であり、
人間の高ぶりが災害を増幅させてしまった人災でもあります。
私たちは、この機会を利して、惨状をバネとして、
この日本を、良い方向へと導かなければならないのです。
2000年前のイエス・キリストの十字架の出来事は、
この世界をよい方向へと導こうとされた神のあわれみの出来事なのです。
この非常時にさいして、
世界を造られた創造主なる神のあわれみが、
この日本にあらわされるよう祈ります。
北白川 スー
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Wrote up on 15 March 2011.