神の裁きも福音の内


 福音と聞けば、なんとなく良いことのように想像します。

 キリストによって人類が救われるという、

 喜ばしい知らせであるわけです。

 つまり、神の裁きからの救いなのです。

 神の裁きなくして福音もあり得ないわけです。

 ですから、神の裁きも福音の内なのです。

 多くの人は、神の裁きがあるなどとは考えず、

 福音というものを想像します。

 ですから、キリストの教会も、

 福音について正確にメッセージしなければならないのです。


 「 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、

 善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、

 それぞれ報いを受けねばならないからである。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章10節・口語訳聖書)


 イエス・キリストの十字架の出来事は、

 まぎれもなく神の啓示です。

 その啓示の内容と意味とは、

 聖書は次のように語っています。


 「 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、

  神の怒りが天から啓示されているからです。」

 (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・1章18節・新改訳聖書)


 被造物としての、私たちすべての人間の、

 創造主なる神にたいする不義を、

 神のひとり子イエスは、その身に負われ、

 命をささげることによって贖って(あがなって)くださったのです。

 つまり、イエスは、神の怒りを一身に引き受けられたのです。

 この神の啓示を受け入れ、承認することによって、

 神の裁きから救われる・・・。

 永遠の苦しみを受ける地獄ではなく、

 天国・永遠の命へと移される。

 これが福音の内容です。

 イエス・キリストが代わって神の怒りを受けてくださったからです。

 創造主なる神が人間を創造されました。

 しかし最初の人間が神に背いたことにより、

 楽園から追放され、

 人の人生に死が入り、人類の歴史が始まり、

 すべての人は罪の中をさまよい歩かなければならなくなったわけです。

 神への背きの罪については当然にして裁きが待っています。

 もともとの創造の最初の状態に戻るのか、

 それとも永遠に続く苦しみに入るのか・・・。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on 23 September 2011.