忘れられた福音



日々のラジオやテレビから流れてくる言葉には、
福音の香りや、キリストへの信仰の香りのするものや、
聖書やバイブルの言葉に根差したものなど、
まったく感じられず、ひとかけらも無い・・・・。

キリストの福音は、もはや時代の変化に取り残されたのだろうか。
すでに忘れ去られたのだろうか。

繁栄に見える、物にあふれた豊かさは、
決して神の恵みではなく、罪深さの結果である。
このような考えには批判もある。

日本では、なぜキリスト・イエスの十字架に根差した信仰が育たないのだろうか。
信仰の始まりがキリストの十字架ではなく、
現代病理からの救済に始まるものが多いからだろうか。
繁栄の中に居場所を失った者に、
正当性を与えることが信仰なのだろうか。

聖書は明確に語っている。
「わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
福音には、神の義が啓示されていますが、
それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
・・正しい者は信仰によって生きる・・と書いてあるとおりです。
不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、
神は天から怒りを現されます。
なぜなら、神について知りうる事柄は、
彼らにも明らかだからです。
神がそれを示されたのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16〜19節・新共同訳聖書)

福音は、創造主なる神の、
被造物としての人間にたいする、
時代を超えた神の義なる啓示であることは明確です。

しかし、キリストの教会とクリスチャンは、
世界は終末へとひた走っていることを語らず。
キリストの福音を、
現代社会の摂理に置き換えてしまったのだろうか。
未来は明るく豊かだと・・・・。

私たちの現実は、
・・不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義・・、
であることを忘れてはならない。


北白川 スー

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Wrote up on January 29, 2014.