すごいところにいるのだという実感


 この日本で日常の暮らしを営む者にとって、

 十字架って何???・・・というのが正直な感想ではないでしょうか。

 その十字架について、

 とてつもなく意味のある十字架の前に、

 イエス・キリストの十字架の前に立っているのだという・・・・。

 すごいところにいるのだという実感が福音でなければ、

 人は、決してキリストを仰ぎ見ないだろう。

 この日本の一般社会の中で、

 折に触れて、何かの場合ごとに、くりかえしくりかえし、

 イエス・キリストの十字架の出来事が説き明かされないため、

 その機会も少なく、人間的な努力もわずかなこの日本においては・・・・・、

 だれもがひとしく、

 十字架を見ても、

 すごいものを見ているのだという、

 すごいところに居合わせているのだという感想などわいてはこないのです。

 イエス・キリストの十字架の出来事によって、

 ” 神の正義と勝利がこの地上にもたらされた” という、

 理解しがたい、信じがたい出来事が、

 人間にとっての、喜びと希望とのみなもとになっているのだということについて、

 関心も注意も傾けないのがこの日本なら・・・・・。

 イエス・キリストの十字架の出来事を、

 語り伝えることが、

 教会をこの世界に存在させている大きな理由であるにもかかわらず、

 十分に伝えられていない現状を考えれば・・・・・。


 「キリストを信じることによって、今立っているこの恵みの生活に入れられ、

 神の栄光を私たちも頂くという希望を持って喜んでいる。」

 (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・5章2節・現代訳聖書)


 十字架を見て、おどろきを覚えることを、期待することなどとてもできません。

 十字架が、私たちの人生において深くかかわりのあるものなのだと分かって初めて、

 おどろきをもって十字架を見上げることができるのですから。


 「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。

 聞き従って、魂に命を得よ。

 わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。」

 (旧約聖書・イザヤ書・55章3節・新共同訳聖書)


 イエス・キリストを信じて得られるかずかずの祝福・・・・。

 信仰を持って、始めて知る神の恵み・・・・・。


北白川 スー

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Wrote up: 20 July 2009.