イエス・キリストこそが恵みであり福音の内容
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ネットで公開している小論において、
イエス・キリストこそが恵みであり福音の内容であるということを明らかにしてきたのですが、
しかし、こと日本のキリスト教の信仰には、
なんだか、福音の外に、福音と並んで、
福音とは別に、
信仰の基いがあるような気がしてならないのです。
イエス・キリストの十字架の死によ贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事こそが、
イエス・キリストが恵みであり、福音の内容であることを明らかにしているわけですが、
どうも、そうではないところに信仰のよりどころを置こうとしているように見えてならないのです。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事は、
まぎれもなく、ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事です。
キリストの恵みも福音も、
すべての人がその対象なのです。
では、イエス・キリストの十字架の出来事の以外に、
人は何を期待して、また何を求めて教会にやってくるのでしょうか。
イエス・キリストの十字架の出来事の解き明かしを聞いたうえで、
なおかつ、十字架による恵み以外のことを期待し求めているわけではありません。
イエス・キリストの十字架の出来事の解き明かしを聞いていない人たちが、
何かを期待して、また何かを求めて教会のトビラをノックするのです。
多くの場合、その人の生き方や考え方ややり方にたいして、
肯定的な、その通りで間違いはありませんと・・・・。
励ましの言葉や態度を期待してやってくるのです。
なぜなら、そのような人たちは、
学園や家庭や会社や地域などで、悩み、苦しみ、傷つき、疲れ果てているからです。
教会は、そのような人たちに評価を与えるところなのでしょうか。
あなたは、よくやってきたと・・・・・。
自分がやってきたことへの評価が、
得られないことへのいらだちや苦しみ・・・・。
人が人に与える評価・・・・、
しかし、人が人に与える評価、それは、決して福音ではありません。
評価されなければ、人間として生きられないのでしょうか。
評価されなければ、人間としての生きがいは得られないのでしょうか。
聖書・バイブルの有名な記述に、
「 すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。」
(新約聖書・マタイによる福音書・11章28〜30節・口語訳聖書)
私たちが社会の中で働きまた学び・・・、
その中で評価を得られないつらさは人知れず大きいものがあります。
役にたっているという評価ほど、その人を励まし力づけるものは他にありません。
しかし、それは決して魂の安らぎを得るものではありません。
評価されれば、それに比例して、さらなる精神や力を打ち込むことを求められるものなのです。
ですから、キリスト教の教会がその役目を担うとすれば、
それこそ、なんのためにイエスは十字架刑によって死なれたのでしょうか。
聖書の物語が語っているのは、
イエス・キリストは、
あるがままの人々を受け入れられたのです。
それは、人々が罪深い存在だからです。
私たち人間は、だれひとりの例外もなく、
すべて罪深い存在なのです。
思いにおいて、言葉において、行為や行動において、
自分にたいして、人にたいして、神にたいして罪を犯し続けているのです。
だから、私たちの罪を、その身に負い、罪人として処刑され、
私たちの罪の代価を、命をささげることによって支払ってくださったのです。
神の目からすれば、私たち人間は評価に値する存在ではありません。
なぜなら、神に背き続けているからです。
しかし、私たちに代わって罪の代価を支払ってくださったイエス・キリストを、
自分の贖い主として受け入れ信じるなら。
神の裁きから救われるのです。
それが神の私たち人間にたいする愛でありあわれみなのです。
「汝ら静まりて我の神たるを知れ。」
(旧約聖書・詩篇・46編10節・文語訳)
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる。」
(旧約聖書・詩篇・46編10節・口語訳聖書)
人としての生きがいを、個人の時間の中に求めれば求めるほどに、
混乱は増してくるものなのです。
立ち止まって神に聞く姿勢こそ、
神は求めているのではないでしょうか。
恵みは神の内にあるのですから。
・・神が私たちを求めているのであって、
私たちが神を探すのではないのです。・・
しかし、私たちはすぐに自分の神を捜そうとします。
北白川 スー
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Wrote up on 22 April 2011.