励ましを与えることが福音ではない



自分の思う通りには行かず、
人間関係に疲れ果て、心は荒み苦しんでいる。

教会は、その人に、励ましの言葉を与えるだけでなく、
その裏に隠れている根本的なことを、
原因となっていることを明らかにしなければならない。
それが教会の役割、存在の理由なのだから。
そうしなければ、その人には救いは来ない。
決して、励ましを与えることが福音ではない。
居場所を提供することが福音ではない。

自らの帰するところを持たない日本人は、
常に関係性に囚われ苦しむ。
信仰とは、何よりも帰するところ、
アイデンティティの確立なのだから。

・「どのように生きるか」・という問いかけは、
アイデンティティの欠如を物語っている。
帰するところを持たない者の証しなのである。

キリスト教の信仰を持つとは、信仰を得るとは、
自らのアイデンティティを、帰する処を獲得することなのだから、

自分を信じることしか方法が残されていないのなら、
あまりにも不安定な、
安住の地を、人生に支えを持たない証拠なのだから。

人間が基本的に、愚かで弱く、
物事が見えない存在なのだという認識に立たなければ、
そこから抜け出すことなどできはしない。

人間の愚かしさを認識することは、
何の惨めさもない、
それは明日への希望を約束していることなのだから。

日本人は、なぜに、自分を信じる力が欲しいと悩むのか・・・・。

「では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。
全くありません。
既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。
次のように書いてあるとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章9〜12節・新共同訳聖書)


北白川 スー

関連記事・「キリストへのプロローグ」

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Wrote up on January 11, 2018.