キリスト教の信仰は人間の愚かさを明らかにする。


 キリスト教の信仰は、人間の愚かさを明らかにします。

 人間の生まれながらに負っている性質を白日の下に明らかにするのです。

 すっかり暴露するものなのです。

 決して、人の正しさを証明するものではありません。

 人の、さまざまな思いや言葉や行為が、

 正しいものであるなら、

 イエス・キリストは、十字架で死ぬ必要などないのですから。

 しかし、日本の多くの人は、

 自分の愚かさを認めようとはしないものなのです。

 それどころか、義なる者こそ救われるべき者なのだとさえ考えています。

 正しいからこそ救われなければならないと。

 自分は正しいから肯定されなければならないと。


 「 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、

 定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。

 善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。

 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、

 キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、

 神はわたしたちに対する愛を示されました。

 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、

 キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章6〜9節・新共同訳聖書)


 救い主・メシア・キリストなるイエスが、

 神のひとり子イエス・キリストが、

 救い主として、この世界に生まれ来たということは、

 この世界を作られ、私たち人間をも作られた神の目から見て、

 この世界が、私たち人間が堕落している証拠なのです。

 私たちが、救われることも逃げることもできない状態でなかったなら、

 救い主がこの世界に生まれ来る必要などないのですから。

 キリスト教の信仰は、

 人間の罪を前提として成り立っています。

 私たち人間が罪深いからこそ、

 義なる神に信頼を寄せなければならないのです。

 それがイエス・キリストへの信仰なのです。

 しかし、こと日本人のキリスト教への期待というものは、

 その逆かもしれません。

 その人の生き方にたいして肯定的な言葉や励ましを求めて、

 人は教会にやってくるものだからです。

 自分にたいする評価が欲しいために・・・・・。

 義なる者こそ救われるべきだと・・・・。


北白川 スー

関連記事・「キリストへの信仰」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on March 11, 2012.