恵み・・・とは



 キリスト教の教会でよく耳にする”恵み・めぐみ”と言う言葉は、

 いったい、どういうことなのでしょうか。

 何を意味しているのでしょうか。

 恵みとは、経済的な豊かさのことですか。

 健康のことですか。

 良好な人間関係のことですか。

 キリスト教の ”信仰をすること ”ですか。

 はたして聖書・バイブルは、そのように語っているのでしょうか。

 聖書・バイブルが語る恵みとは、

 神ご自身が、ひとり子イエス・キリストを、

 この世界に生まれ来させ、

 私たちのために、

 罪人として十字架にかけ、

 その命を捧げてくださった・・・という出来事。

 神が人となられて、

 私たちの命のために、

 イエスの命を高価なものとして惜しまれたというようなことではなく。

 しぶしぶイエスを遣わされたというようなものではなく、

 創造主なる神に背き罪を犯してしまった私たちに、

 ご自身の怒りを下されるというのではなく、

 私たちのために、ご自身のひとり子イエスの命を捧げることによって、

 その命を代価として、

 罪の奴隷の中にある私たちを、

 イエスの命を代価として、

 罪の奴隷の中から買い取ってくださったという出来事・・・。

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事にあらわされた、

 私たちの罪をあがなうために、

 神ご自身のひとり子イエスの生命をもって、

 私たちに代えて、イエスの上に神の怒りを下され、

 私たちの罪の代価として支払われたということなのです。

 恵みとは、

 創造主なる神が造られた、

 被造物としての、作品としての人間にたいして、

 ご自身の生命をかける値打ちのあるものとして、

 そうすることによって初めて、

 神との和解と、

 罪が赦され、

 神の裁きからの救いが完成され、

 私たちに ”永遠の命 ”を贈り物・ギフトとして与えようとされた、

 それが、神が人となられたという恵みの正体なのです。


 「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

 独り子を信じる者が一人も滅びないで、

 永遠の命を得るためである。

 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、

 御子によって世が救われるためである。」

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)


 キリストの恵みとは、

 決して、自分の生き方にたいする肯定的な励ましの言葉ではありません。

 自分の思う通りになることが恵みではありません。

 恵みとは、悔い改めであり、

 罪の奴隷から自由になることです。

 罪人のままであることではなく、

 罪のもとにある生活とは異なった、

 イエス・キリストと共に歩む、

 新たな暮らしを手にすることが恵みなのです。

 決して自分の力や知恵で手に入れた恵みが恵みではありません。

 恵みとは、与えられたもの、受け取るものなのです。

 罪を認めず、罪の奴隷の下にあることも認めず、

 悔い改めのない恵みも、恵みではありません。

 私は罪など犯していませんと言うならば、

 恵みは恵みでなくなってしまいます。


 「 彼らは、価なしに、神の恵みにより、

 キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章24節・口語訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on 21 August, 2012.