ヤベツの祈り・・責任の増大もやってくる



アメリカや世界のキリスト教界で流行った ” ヤベツの祈り ”というものがあります。
アメリカでは、「The Prayer of Jabez」というタイトルの本がベストセラーにもなりました。
スーパーマーケットで売られていたほど人々の人気を呼んだものです。

・・・私を祝福し、私の領域や範囲を広げてください。
神の手は私と共にあり、
私を災いから遠ざけ苦しむことがないように。・・・という祈りです。

なんとも虫のいい自己中心的な祈りのようにも見えます。

聖書・バイブルは、
持てる力の大きい小さいが問題ではなく、
人間の持っている才能や能力を、
さらに、今以上に増やすべきこととして教えています。

日本では、大きい小さいが特に問題にされてしまうようです。
何事も、持っているか、持っていないか、有るか無いかであったり、
大きいか小さいかが評価の基準になっているのが日本なのかもしれません。
それが、あこがれやねたみの原因になったりもします。
人間関係のきしみやあつれきの原因になったりもします。

日本のさまざまな共同体は、互いの横のつながりを大事なものと考え、
ひとり抜き出ることを良しとはしません。

自分の可能性を信じ、自分の思う通りにやることこそ薦められるものだとも言われます。

キリスト教文化では、
人間の持てる資質や才能や能力は、
神から預けられたもの、与えられたものと考えます。

神から預けられた資質を、
おのおの生まれつき備わっている能力や才能などを・タレント・タラント・と言います。
神からの、贈り物であり、賜ったものなのです。
個人的な、持てるものの種類や大きい小さいが問題なのではありません。

「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。
母は、『わたしは苦しんで産んだから』と言って、
彼の名をヤベツと呼んだ。
またヤベツがイスラエルの神に、
『どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、
御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、
苦しみを遠ざけてください』と祈ると、
神はこの求めを聞き入れられた。」

(旧約聖書・第1歴代誌・4章9〜10節・新共同訳聖書)

聖書・バイブルの価値観は、
自分の枠や殻に閉じ込もってしまうことを勧めず、
今に留まらず、もっと大きく挑戦することを期待しているわけです。

神は厳しい方です。明確な方です。

「あなたは冷たくもなく熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。」

(新約聖書・ヨハネの黙示録・3章15節・新共同訳聖書)

就職したり、新しい職場へ転職したり、
上級の学校に進学したり、転校したり、
新たに土地に移ったり、新たな事業に手を伸ばしたり・・・。

自分の持てる領域や範囲を広げようと、前向きに考え始める・・・。
心機一転・・心を広げて、気持ちをあらため、いっさいのわだかまりから抜け出そうと・・・。

まあ人それぞれです。
どちらにせよ、新たに進み出るということは、
責任が増し加わるり、
まわりからの期待が増大することを意味しています。
さらなる高い品質・クオリティーの仕事を求められこともあるでしょう。

ヤベツの祈りは、
神に信頼して祈れば、
神は、国境や地境や領土を領域を範囲を広げてくださいる方であり、
必ず祈りに答えてくださる方であると・・・・。

しかし、見かたを変えれば、
それは、物事は自分の思い通りには行かないこともあるけれど、
神に聞き従っていけば、
神は必ず祝福してくださるという約束を信じて、
自分にも出来るという気持ちにさせられるということではないでしょうか。

新たな領域に入れば、
まわりからの期待も、おのずから責任も増大するものです。
さらなる品質や、さらなる技術・スキルを求められるものです。

当然なのです。
気付いてください。
だから、信頼を寄せることのできる神が、
自分と共に在るという信仰心が求められるのです。

日本のキリスト教の教会でヤベツの祈りが流行ったとき、
祈りにあわせて責任の増大がやって来るものなのだとは考えなかったようです。

祈りに答えられ、祝福を受けて自分の領域が広がったとき、
あわせてまわりからの期待や、責任が増え、
今までの自分の持てる力では通用しない場合もあることでしょう。
自分の気持ちがくじけそうになることもあるでしょう。
そのとき初めて神の存在に気付くのかもしれません。
そのようにしてやっと祈らされるようになるのかもしれません。
それが日本的なのでしょう・・・・。

自分の思う通りになることが、
自分が思う標準に、
今に留まることが祝福だという考えもあります。

聖書の基準は、今に留まるのではなく、
神に信頼を寄せれば、
神の言葉に耳を傾け続けるということは、
神に聞き従うということは、
自分にも出来るという気持ちであらねばならないのです。
もっと高みに達したいという内的な衝動を持つことではないでしょうか。
このままでは終わりたくない・・。
それが”ヤベツの祈り ”なのです。

神は、求める者には、
ビジョンを明確に持つ者には、
おしみなく与えてくださるお方なのです。
ただし、神の意志に沿ったビジョンを・・・、
しかし、それに比例して、責任も増大することを忘れないでください。
それが、神との契約の本質なのです。

神は厳しく要求されます。
その意志に従わないとき、神の怒りは計り知れなく大きい。


北白川 スー

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Wrote up on January 12, 2016.