救いって何



多くの人が考える ”救い” って何でしょうか。

金銭や経済的な困難から抜け出すことでしょうか。
苦しめられている人間関係から解放されることでしょうか。
病気からでしょうか。
戦争や紛争からでしょうか。

生きて行くうえで満たされない必要が満たされることが救いなのでしょうか。
それが幸せというものなのでしょうか。

聖書・バイブルは、
それらの困難を起こしている根本的な原因を明らかにしているのです。
原因が分かれば、それらの困難から解き放たれる方法も明らかになります。

社会の構造や仕組みに問題があるのではありません。
社会を形作っているのは人間自身なのですから。
その人間にこそ問題があるのです。

聖書・バイブルは、
私たちの思いや言葉や行為といったものよりも、さらに根の深いところにあるものを言っているのです。

私たちのあらゆる行為のみなもとが、そもそもの原因だと言っているのです。

私たちは本性的に、生まれた時から愚かで弱い存在なのです。

「では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。
全くありません。
既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。
次のように書いてあるとおりです。
・・正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく、神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない。・・」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章9〜12節・新共同訳聖書)

人が様々に問題を抱えているのは、
簡単に言えば、自分の本性を知らないからなのです。
自分の弱さ愚かさを知らないだけなのです。
根本的な人間の弱さ愚かさを明らかにしなければ・・・・。
わが身の問題として、
気づいていない根本的な問題点を明らかにしなければ、
物事の解決は無いのです。
救いも幸せもありません。

自分は、生まれた時から愚かで弱い存在だと気づき、
また認めたときから、
救いは始まります。
すなわち再生が始まるのです。
新しく生まれ変われるのです。

でも、認めたくないものですし、そうは簡単ではありません。

あくまで、自分は正しいと思うのなら、
いつまでたっても救いはやっては来ません。
困難は続き続けます。

救い主イエス・キリストは、
なぜ人としてこの世界に生まれたのでしょうか。
なぜ、十字架にかけられ死刑となったのでしょうか、
そして、なぜ死人から復活したのでしょうか。

イエス・キリストが死ななければ、
私たちには救いは来ません。
イエス・キリストが復活しなければ、
私たちの復活もありえません。

「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、
わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・4章25節・新共同訳聖書)

すべてに対して方向転換をもたらすのが、
イエス・キリストへの信仰・信頼なのです。
信頼がなければ、聞き従うことなどできません。
イエス・キリストを信じることができるのは、
イエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とを理解したときから始まります。


北白川 スー

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Wrote up on March 28, 2016.