神が来られた出来事


 イエス・キリストがこの世界に来られたということは、

 神が、私たちのところへ来られたということです。

 私たちが、神をみつけようとすることではないのです。

 イエス・キリストの生と死と復活とによって、

 神のひとり子イエス・キリストが、

 マリアによってこの世界に生まれ、

 十字架にかけられ、

 死して、

 私たちの罪を贖って(あがなって)くださり、

 そして葬られ、

 三日の後に死人のうちから復活したという出来事は、

 私たちに備えられた”救い”という出来事なのです。

 私たちは、ときとして自分の気持ちに思いに沿った神を見つけようとします。

 自分の所属することのできる場所を探して・・・、

 そして、確保しようとあがき苦しみます。

 聖書・バイブルが語っているのは、

 ””神が私たちを求めておられるのであって、

 私たちが神を探すのではないのです。””

 多くの人は、この順序が理解できずにいます。

 多くの人が苦しむのは、

 神を見つけることができないため苦しむのです。

 自分の意に沿った神を・・・。

 そうではなく、

 神が私たちのところに来てくださった・・・・。

 私たちは、信仰を持とうとして苦しみます。

 そうではなく、信仰は神から来るのです。


 「 実に、信仰は聞くことにより、

 しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)


 私たちは、私たちの間違いを悔い改めて、

 つまり、方向転換して、

 ”信仰の側 ”にからだ傾けたとき、

 私たちは、私たちを愛してくださる方によって、

 確信を持って勝利者になるのです・・・・。

 私たちは、代価を払って買い取られたのです。

 イエスの命によって・・・。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on 02 October 2011.