キリスト教のブランド・イメージ


 企業であれ地域社会であれ、観光地だってそうです、

 ブランド・イメージは大切なものです。

 辞書を開いて見れば、ブランドとは「焼き印」のことで、

 大きな牧場では牛などの家畜には持ち主を示す焼き印が押されていました。

 その昔では、罪を犯した者のからだに押したのが焼き印でした、

 つまり、烙印・汚名だったのです。

 烙印を押される・・・・なのです。

 さて、ブランド・イメージ・・・・

 サービスであれ製造の現場であれ、

 客も客を迎える側としても、それを持っている持っていないとでは大いに違ってきます。

 私が暮らしている京都は、「京都」というビッグ・ブランドの上にあぐらをかいて暮らしていると言っても言い過ぎではありません。

 「一見さんおことわり・いちげんさんお断り」なのですから。

 ”京都通 ”ぶっているだけではだめで、とけ込み馴染みにならなければ認められないのです。


 さて、

 日本におけるキリスト教のブランド・イメージって、いったい何でしょうか。

 女性や子どもの宗教ですか、

 弱い人や、心の病んでいる人たちの施設ですか、

 居場所のない人たちを受け入れるところなのですか、

 人々のさまざまな必要に答えるところなのですか、

 混沌とした現代社会の病理の中で、傷ついた人たちの受け皿としての働きを請け負うところなのですか。

 まわりが見えないふうにも見えなくもない、心をひきつけて離さず夢中にさせてしまうような何かに取りつかれた人たちのあつまりなのですか。

 これらがおもな、日本の一般社会が思い描いているキリスト教の教会のイメージでしょうか。

 だから、私にとって必要のないところなのですか。

 しかし、しかしです。キリスト教とは。

 十字架にはりつけになっているイエス・キリストがあらわしているように、

 正確に言えば、本性としての人間の罪深さと、その罪の償いについてであり、

 イエス・キリストが罪のあがないとして十字架にかかり、

 自らの死をもって、

 すべての人の罪の代価を、ひとりの命を犠牲にすることによって支払ったという、

 私たち人間にたいする愛の出来事なのです。

 具体的な行為の伴った愛の出来事なのです。

 そして、私たち人間の罪と、その罪の赦しについての出来事なのです。

 神は私たちを愛してくださり、

 イエス・キリストという愛の贈り物をプレゼントしていただいたのです。


 教会では、毎日曜日に礼拝がもたれています。

 つまり、私たち人間は、本性としての罪深さのため、

 何度でも、この世界を造られた神、

 私たち人間をも造られた父なる神の前にすすみでて、

 私たちの心の深いところへ戻らなければらないのです。

 内面の心を、何度でも調べて、点検しなければ、

 再び罪深さへと逆戻りしてしまうのです。

 救い主・メシヤとして、神のひとり子イエスが、人としてこの世界に生まれたということは、

 この世界は、この世界を造られた神の目から見て堕落している証しなのですから。

 私たち人間の生まれながらに持っている罪深さという性質が、

 実にさまざまな過ちを犯している姿を、私たちは日常的に見ているはずです。

 教会は、私たちの罪深さを明らかにし、

 また、そこからの脱出の道をも明らかにしているのです。

 私たち人間は実にフラフラしている存在です。

 だから、父なる神にたいする深い個人的な信頼・信仰の必要性があるのです。

 キリスト教信仰とは、

 この世界を造られた神と、そのひとり子イエスに、

 全幅の信頼をよせて、人生のすべてを支える土台となるものなのです。

 神と神の教会なくして、だれも最善な人生を送ることはできないと考えます。


 しかしながら、日本の一般社会では、そのような見かたはしていないでしょう。

 教会の宣伝不足か、もしくは正確に伝えられていないからではないでしょうか。

 キリスト教の、正確なブランド・イメージが伝わっていないのです。


 キリストの福音を、

 一度だけ語り伝えればそれで良いのではなく、

 二度も三度でもくりかえしくりかえし語り伝えなければ、

 それでもイエス・キリストの恵みを、イエス・キリストの御霊の火を、

 伝え聞いた人の心に灯し、イエスへの愛と信頼を築くことはできないし、

 灯すことは出来ないことを知らなければならないでしょう。

 私たち人間の魂は、簡単に冷えてしまうものだからなのです。

 それが、キリスト教の教会のブランド・イメージの構築という戦略なのだから・・・。


 「わたしは道であり、真理であり、命である。

 だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

 (新訳聖書・ヨハネによる福音書・14章6節・口語訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up: 21 July 2008.