福音は届いているか
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 福音とは、すなわちイエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とが、
 一般市民のところへ届いてはいない、
 届けられてはいない・・・。
 それが日本の現実なのです。
 なぜ福音が届けられていないのか、
 なぜ届かないのかを明らかにしなければ、
 意識の改革も行われないし、
 福音から力や知恵を引き出すこともできないし、
 日々の生活スタイルへの問題意識も生まれてはきません。
 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の内容と意味とが解き明かされてこそ、
 イエス・キリストの死と、葬りと、
 三日の後に死人のうちから復活したという出来事の内容と意味とが解き明かされてこそ・・・・、
 私たち被造物としての人間にたいする、
 神の究極の決断と態度の決定という、
 創造主なる神の意思が明らかとなるのです。
 キリスト教の信仰は、
 決して消極的なものでもなく個人的なものではありません。
 ひとりの人がすべての人のために死んだという、
 神のひとり子イエス・キリストの十字架の出来事が、
 それを証ししているのです。
 その出来事は、
 その出来事に出会った人たちを、
 日々の営みにたいして力強く立ち向かわせます。
 日常生活においても、
 またビジネスの現場においても、
 クリスチャンとしての信仰によって支えられた、
 被造物としての人間の生き方に、
 人生のすべてを支え、すべてのものの土台となるもの、
 つまり、”イエス・キリストを通した神の恵み ”において、
 人生は支えられるのです。
 私たちの今までの生き方は、
 導き手を持たない、導き手を失った状態だったのです。
 イエス・キリストの十字架の出来事を聞いた今・・・。
 その出来事を聞いた人の人生は、
 新たな展開へと動き始めます。
 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
 岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
 岩を土台としていたからである。」
 (新約聖書・マタイによる福音書・7章23〜24節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on 30 July 2011.