恵みについて考える


 恵み(めぐみ)とくれば、

 なにか信仰によって手に入れることのできるもののように思っている人もいます。

 金銭的なものであったり健康であったり、不安定な人間関係が良くなったりと、

 個人的な利益を得ることでしょうか。

 恵ぐむ・・・となれば、

 かわいそう思って情けをかけ、あわれみ、金銭や物を与えるという意味があります。

 キリスト教信仰における ” 恵みを受ける ” とは、

 信仰によって受け取られるものです。

 神からの贈り物として恵みは存在していて、

 恵みの発動は神の側にあるわけです。

 ですから、信仰者の信仰の力や行や業といったものによって恵み取るという内容のものではありません。


 「 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、

 その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。

 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。

 このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」

 (新約聖書・エペソ人への手紙・2章7〜8節・新共同訳聖書)


 聖書は、”救い”というものは”恵み”から来ていると指し示しています。

 つまり、神の怒りの審判から救われるのは、

 イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)のわざ、

 すべての人に向けられた神の愛・・贖いの愛・・の他には、なにものもないことをあらわしているのです。


 「 しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。

 そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・11章6節・口語訳聖書)


 恵みとは何か、

 恵みとは、私たちをやがて来る神の怒りから救うために、

 神ご自身が私たちに向けて贈られた、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ、そのものなのです。


 「 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、

 ――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― 」

 (新約聖書・エペソの信徒への手紙・2章4〜5節・新改訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up: 01 June 2010.