福音が広まらない理由



キリスト教の信仰というものが、
日本での長い布教の歴史がありながらも、
なかなか社会的な広がりを見せないのは、
何か特別な理由が、
日本人の心の中にあるのでしょうか。

福音と言えば、
神のひとり子イエス・キリストの生と死と葬りと復活によって備えられた、
神の怒りの裁きからの救い・・・という、おどろくべき事柄が、
良き知らせ、福音というものの中身なのですが・・・。

しかし、それが福音だと理解されているのかどうかは、
疑問とするところでしょう。

クリスチャンがクリスチャンであるのは、
神の計画に従って、
イエス・キリストによって召し出されたのではなく、
自分の宗教心にフィットする宗教として、
数多ある宗教の中から一つ選択したものが、
クリスチャン信仰なら・・・。
それでは、キリストの福音は、福音でなくなってしまうのです。

信仰を、きちっとしたものではなく、あすこは違う、ここは違う、
そんないいかげんなものではない、というようなものではなく、
もっと自由なものなのだとしたら。

または、
何らかの機会に福音を聞き、
福音に接したことにより、
イエス・キリストの十字架の出来事に現わされている、
かつて知り得なかった事柄に接して、
かつて知り得なかった情報が自分の人生において、
まったく新しい展開と方向性をもたらすものなのだと知ったなら。

福音によって、
生活の全面をおおうほどの、
おどろきの価値観や倫理観を知ったとき。
それが、いままで縛っていたものからの解き放ちになるかもしれません。
しかし、新たな、自分を縛ってしまうものになるかもしれません。
いずれにせよ、
人生において、大きな転換点となることでしょう。

「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。
それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、
キリストが死んでくださったので、
召された者たちが、
既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。」

(新約聖書・ヘブル人への手紙・9章15節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on January 16, 2014.