福音とは何か、それは新しい創造である
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福音とは何なのかという根本的な問いかけについて、
それは、イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事であると・・・、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事の他にはなにもない・・・。
それ以外の答えなど存在しない・・・と答えなければなりません。
人間にとって、
イエス・キリストの福音という、
他のものに変えることなどできない、
根本的なことがらについて・・・。
この日本では、
キリスト教の教会で、
イエス・キリストの十字架の出来事、すなわち、
イエス・キリストの十字架の出来事の解き明かしが、すなわち、
”福音 ”が語られているのか・・・という疑問と。
教会で福音が語られているのなら、
なぜ、日本人は受け入れられないのか。
もしくは、どうして受け入れることを拒んでいるのか・・・・という疑問。
現実を見れば、
教会から福音が聞こえてこないという現実もあります。
聞こえてこなければ、
だれでも聞くことのできる機会が備えられているとは言い難く、
福音にとって理想的な状態ではないのかもしれません。
また、福音が聞こえてこなければ、
福音以外のものを福音だと思い込んでいる場合もありえます。
福音が聞こえてこなければ、
受け入れることすらできないわけですから。
「 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。
聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。
宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」
(新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・10章14節・新改訳聖書)
自分の生き方についての肯定的な言葉や態度が決して福音ではありません。
それどころか、その正反対なのです。
ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の意味とは・・・。
大きな方向転換を、
その出来事を聞いた人にもたらすのです。
しかし、こと日本では、
そのようには考えられていないのかもしれません。
聖書・バイブルが示すキリスト教の信仰とは、
人間の生き様すべてに影響を与えるものなのです。
政治に始まり経済から教育、
人間関係や健康に至るまですべてに変化を変革をもたらすものなのです。
「 だれでもキリストにあるならば、
その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、
見よ、すべてが新しくなったのである。」
(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章17節・口語訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on 30 November 2011.