福音は、人生を根本的に変える



ひとりの人がすべての人のために死んだという・・・。
イエス・キリストの十字架の死による贖罪の出来事。

すなわち、
福音は、社会にたいして大きな影響を与えます。
しかし、それは、福音が、
社会に向けて、広く語られ、
説かれ、解き明かされた上での現われなのです。

福音は、人生の歩みの向きを、
180度も変えてしまうほどの影響力を持っています。
人の人生を根本的に変えます。
いや、福音によって変えられるのです。

人の歩みを根本的に変えるということは、当然のこととして、
人がその役割を担っている、
政治や経済や教育や医療などに影響力を持つこととなるのです。

しかしながら、この日本では、
福音がそのような影響力を持っていることは知られてはいません。

「あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、
その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・2章4節・新共同訳聖書)

キリスト教の信仰というものは、
個人的な、ご利益信仰のように見られていますが、
決して、ご利益信仰ではなく、実際はその逆なのです。

自分の思う通りに事を運びたいがために信仰するのでありません。
自分の思い描く世界に留まりたいがための信仰ではありません。
社会から疎外された人に居場所を与えるのが信仰ではありません。

この日本では、どうも入口を間違っているようです。
キリスト教を誤解しているのです。
誤解されたまま長い月日が時間が流れてしまったのかもしれません。

人の人生を根本的に変えてしまう出来事が、
神の啓示の出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)のわざという出来事・・、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
すなわち福音なのです。

誤解されたまま長い月日が時間が流れたということは、
イエス・キリストの十字架の出来事の内容と意味とが、
説かれず解き明かされないまま月日が時間が流れてしまったことを意味しています。

神の啓示の出来事、すなわち福音とは、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事です。

福音を受け入れるということは、
神の啓示の出来事の内容と意味とを理解し承認し受け入れた者は、
それ以後、神の意志に沿った生活をすることになるわけです。
つまり、新しい人生が始まります。

キリスト教的な言い方をすれば、
今までの考え方ややり方を悔い改め、
新たに出直すことを意味しています。

神の意志に沿った人生とは、すなわち新しい人生とは、
創造主なる神に栄光を返すことを意味し、また求めているのです。

キリストへの信仰を持つことによって、
世俗において様々な必要に迫られていても、
自分の思う通りに約束されるわけではありません。

信仰とは、心の姿勢の問題ですから、
信仰によって、その人の心に喜びが満ちても、
必ずしも、世俗での豊かさを、
高い地位や豊かな経済が手に入るとは限らないのです。
むしろ、それらを必要としなくなるのです。

自分の思い描く世界を否定されたくないと、
変えられたくないと思っている人も実に多いことも事実です。
日本の特徴かもしれません。
ですから、強烈にイエスの十字架の出来事が解き明かされなくては、
その人を、自分の思い込みから解き放つことはできないのです。

「わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on June 08, 2014.