信仰は、神から来る祝福なのです
信仰は、神から来る祝福なのです。
それも、個人的な利益をもたらすものではなく、
また、自分を築きみがくことによって得られるものでもありません。
” この世界を造られた神を最上位とする神の家族 ” という共同体の中に築かれるものなのです。
家族に始まりあらゆる人たちの集まりである地域社会に、また会社や、教会であってもそうです。
生きているすべての人たちのその中で築かれるものなのです。
神の国という、神の支配という方向性を持って。
孤独な人が信仰を持つという場合が多く見られるのが日本の教会風景かもしれません。
ただひとりで孤独や不安や悲しみなどと戦っている人を見受けます。
教会にやってきては、
牧師をつかまえてその思いをぶつける・・・。
まるで積もり積もった荷物を吐き出すかのように。
クリスチャン同士の交流で、グループ・セッションでそれを癒せと牧師は言う・・・・。
人間同士の語り合いで・・・・・・、
人間関係につまづいた人にとって、それは酷な話なのです。
自分のまわりに自分を愛してくれる人がいないと思っている場合・・・、
常に自分の生き方にたいして肯定的な反応をまわりから期待している人は・・・・、
それが孤独の原因である場合が多いのです。
愛なる神・・・イエス・キリストを信じることは、
とても難しい話しなのです。
孤独な人は集団に組することは難しいのです。
ひとりで不安と戦っている人には、まわりは見えてはいません。
キリスト教の信仰は、共同体に入ることを目標に定めるものではありません。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事は、
イエス・キリストの十字架の死によるあがないの出来事は、
この世界を造られた神の愛を示すものです。
だれひとりの例外もなくすべての人間に明らかにされた神の愛の出来事なのです。
それが神の啓示なのです。
教会は、神の啓示・・イエス・キリストの十字架の出来事の中にその基礎を持っています。
教会は神の愛の中にその存在の基礎を持っているのです。
神の愛が、神の愛のあかしを通さずに私たちのところに来ることはありません。
仮にも、教会で神の愛が証しされないのなら、
そこにある愛は、
ただ問題の多い人間的な愛に過ぎません。
聖書・バイブルは何を語っているのでしょうか。
聖書は、そのすべてにわたって、預言者と使途たちによって語られている書物です・・・・・・。
神の啓示を聞いた人たち、またそれを見た人たちの証しの書物なのです。
現代の私たちは、イエス・キリストの十字架の出来事を直接この目で見たわけではありません。
しかし、啓示を聞き、その出来事を見た人たちの証しを、
私たちは聖書の言葉において認識することはできます。
そこに、私たちの存在の基礎があるからです。
それは、だれひとりの例外もありません。
教会でイエス・キリストの十字架の出来事が解き明かされて初めて、
不安や孤独や悲しみから、
私たちを解き放つのです。
助け出すのです。
救い出すのです。
信仰は感情に動かされるものではありません。
イエス・キリストの十字架の死によるあがないの出来事という、
具体的かつ論理的な出来事によってもたらされるものだからです。
しかし、そこに理性を超える何ものかが存在していることも事実です。
その助けなくして、私たちはイエス・キリストの十字架の出来事は理解できないかもしれません。
「私たちが神の子どもであることは、
御霊ご自身が、
私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」
(新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・8章16節・新改訳聖書)
「 わたしは父にお願いします。
そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。
その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・14章16節・新改訳聖書)
人生において、人生のすべての土台になるものが、
人生はクリスチャン信仰という土台によって支えられているのです。
いつもそばにおられる人格的な神を、その神のひとり子イエス・キリストを信じる信仰によって、
さらには、聖書に書かれている神の言葉という道しるべなくして、
平安なまた報いある人生を歩むことなどできないのです。
キリスト教信仰とは、特別な人たちのためにあるものではありません。
すべての人たちに共通なもの、共有されるものなのです。
私たちは、この世界を造られた神の子どもなのですから。
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」
(新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・8章14節・新改訳聖書)
超自然的なものが御霊ではなく、
私たちに具体的に、包み隠さず教えるのが神の霊なのです。
北白川 スー
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Wrote up: 24 August 2009.