救い主キリスト


 こと日本では、

 キリスト教のABCを正確に理解したうえでの感想ではありませんが、

 キリスト教の信仰は、心の弱い人がするものだから、

 自分には関係のないことなのだと・・・。

 そう思っている人が大半ではないかと・・・・。

 イエスはキリストです。

 キリストとは、救い主・メシアのことなのです。

 イエス・キリストを自分の救い主として認識できるのは、

 自分が如何に愚かで弱く道に迷っている存在であるかということを知った瞬間からです。


 「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・10章38節・口語訳聖書)


 聖書・バイブルは、

 自分の理解力を超える、

 キリストからの贈り物としての知識を通して・・・。

 私たち人間に向けての、”神の救いの計画 ”を語っているのです。

 それは、イエス・キリストの十字架の死による贖いの業(あがないのわざ)とはどういう意味と内容とによって明らかにされるのです。

 さらに、このイエス・キリストの十字架の出来事を正しく伝えるために、

 教会が機能していること語っているのです・・・・。

 つまり、この世界を造られた神の、

 私たち人間をも造られた神の、

 人間にたいする神の啓示を語り示しているのです。

 教会とは神の言葉、聖書・バイブルに聞く教会なのです。

 そして、ただ私たちにできることは、

 啓示の証しにもとづいた、

 つまりイエス・キリストの十字架の出来事という証しに基づいて、

 神の啓示は、私たち人間に与えられ、

 その啓示を聞いた私たち人間は、

 ただ受け入れ承認するだけなのです。

 教会は、決して人間的な施設でも装置でも、また機能を持っている場所ではありません。

 この日本では、キリストの教会にたいして、

 多くの人が誤った理解をしています。

 キリスト教の教会は、

 心を病んだ人たちや、人と人との人間関係に傷ついた人たちや、

 現代社会のひずみや病理に傷ついた人たちの受け皿としての、

 多様な機能と役目を負った施設だと・・・・。

 それが教会の大切な働きであっても、

 すべてではなく決定的なものではありません。

 キリスト教の教会は、

 ”ひとりの人がすべての人のために死んだ ”という・・・、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ (あがないのわざ)という出来事の内容と意味とが語られるところなのです。

 言い方をかえれば、

 私たちが気づいていない行動パターンを明らかにすること、

 私たち人間が生まれながら負っている性質を、

 つまり、この世界を造られた創造主なる神にたいして、

 被造物としての人間が、

 如何に、どのように、どんな風に、

 神に従わず、神に聞かず、背を向けているかという、

 重大な、許しがたい罪が明らかにされるところなのです。

 この許しがたい罪にたいしては、

 必ず裁きの時がやってきます。

 生きている人も、かつて生きていた人も、

 神の前で裁かれるのです。

 私たち人間は、だれひとりの例外もなく裁かれるのです。


 「彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。

 すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、

 また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、

 生けるまことの神に仕えるようになったか、

 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。

 この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、

 来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」

 (新約聖書・テサロニケの信徒への手紙・1章9〜10節・新共同訳聖書)


 被造物としての私たち人間は、創造主なる神によって裁かれます。

 その裁きから救ってくださるのも神なのです。

 それは、神は、私たち人間の作者だから、創造主だからです。

 神のひとり子イエス・キリストこそ、やがて来る、

 神の怒りの裁きから救ってくださる救い主なのです。


 「・・・・・さあ、わたしの父に祝福された人たち、

 天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」

 (新約聖書・マタイによる福音書・25章34節・新共同訳聖書)


 創造主なる神の姿に似せて、

 素晴らしいものとして造られた人間・・・。

 しかし、その創造主に背いてしまった、

 神の作品としての人間・・・。

 神の怒りを受けてしまった人間・・・。

 それ以来、私たち人間は、この地上の世界を労苦して、

 生きていかなければならなくなったのです。

 何事にも多くの問題を抱えてあえいでいる、

 現実の私たち人間の姿そのものなのです。


北白川 スー

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Wrote up on 01 November 2010.