教会にはさまざまな相談事が持ち込まれてきます
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キリストの教会には、暮らしの不安や悩みをかかえた人たちがやって来ます。
世間で年金のことが話題になっているとき、
それがもとで自分や家族の将来に不安を覚えて心が不安定になったり。
夫と妻との間の気持ちに溝ができて苦しんでいたり。
子どもの、いじめや引きこもりで悩んだり。
務めていた会社が倒産したり、
気のすすまない配置転換で職場の人間関係に悩んだり。
それはさまざまな相談事が持ち込まれてきます。
悩みや苦しみがあるときは、それから解放されることを・・・、
経済的に困っているときは、金銭的に満たされることを・・・、
人間関係に苦しめられたなら、そこから逃れられるように・・・、
自分の思う通りになるように・・・・・。
それが救いだと、それが幸せへの道だということでしょうか。
では、キリストの教会は、そのような問題に応えるところなのでしょぅか。
現代社会の病理に答えるところでしょうか。
いいえ、そうではありません。
キリストの教会で語られるメッセージは、決して「ご利益」を説く教えではありません。
その人の得になることを教えるところではありません。
そうではなくて、「まことの幸せへの道」を、それを「キリストの福音」と言います。
まことの幸せへの道を、キリストの福音を語り、伝えているところなのです。
しかし、どうでしょうか、
私たちは、”それが”手に入ることが、そこから逃れられることが、
自分の思う通りになることが、
自分の願いがかなうことが幸せだと思っています。
ですから、「キリストの福音」が「本当の幸せへの道」だとは、理解できないのです。
「キリストの福音」というものは、
私たちの「生き方」にかかわる、私たちの「命」にかかわるメッセージなのです。
イエス・キリストは次のように語りました。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
(新約聖書・マルコによる福音書・1章15節・新共同訳聖書)
キリスト教は、この聖書の言葉に始まりこの言葉で終わります。
しかし、現実の問題で悩んでいる者にとって、
現実の問題が、自分の望んでいる物が手に入り、
自分の望んでいる状態になることが救いだと信じている者にとって、
このイエス・キリストの言葉ほど理解できないものは他にないのてす。
この言葉は、私たちの悩みや苦しみというものが、
何によって生まれてきたのかを、逆説的に語っているのです。
私たちが、自分のやり方、考え方こそが正しいと考え、
まことの神に背き、まことの神に聞かず、従わず、
まことの神から離れている状態を示しているのです。
だから、悔い改めて、まことの神に信頼し、
まことの神に、聞き従いなさいと。
それが、本当の幸せへの道だと。
北白川 スー
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Wrote up on January 21, 2007.