キリストと共に生きる



カトリックやプロテスタントの区別なく、
教会生活のつらさにあえぎ、また疲れを感じているクリスチャンが少なからず多いものです。
救いなのは、心に負担をかけているのは、共同体としての教会生活であり、
決して自らの信仰生活ではないことに心を留めておきたい。

教会員同士の人間関係であったり、神父や牧師との関係においてであったり、
教会の集会や奉仕や、教会の様々な活動などであったり、
共同体としての教会に属することであったり、

人間のものさしが行動原理になるところでは、
それがシステム化されているところでは、
疲れを覚えたり、苦しみを覚えたりと、
教会の共同活動に苦痛すら感じるのは当然なのです。

ここで考えていただきたい。
キリストと共に生きる恵みというものは、キリスト者だけに許されている恵みではないことを。
すべての民に許されるべき恵みなのです。

教会の人間関係であっても、
ただキリストにおいてのみ結びあわされるのであり、

・・・理由があって、離ればなれになっている神の子らを、
十字架の上で死なれたキリストにあって、結びつけているのです。・・・

それが、キリストへの信仰、キリストへの信頼による、
キリスト者同士の関係なのです。
それが教会の始まりなのです。

ここで言うところの ”神 ”とは、まぎれもなく聖書の神であること、
しかし、私たち人間は、
自分の欲求や、自分が信頼を置くべき対象として、
自分のもっともよりどころとするもの、
意識しなくても、それに縛られ、また、そうあらねばと義務を感じるものとしての、
”自分の神々 ”を持っているものです。

クリスチャンであっても知らずに持っているものです。
だから常に聖書の神を、
礼拝においても、
イエス・キリストの十字架の出来事がくりかえしくりかえし語られなければならないのです。
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業・
あがないのわざという出来事が語られないところに限って、
そこでの人間関係は、
キリストの恵みによって結びつけられた人間関係ではなく、
キリストによって呼び集められた人間ではなく、
ただただ人間による人間関係でしかありません。

キリストの教会は、”神の啓示 ”が語られ、神を礼拝し、あがめ、誉めたたえるところです。
”祈りの宮 ”なのです。
決して自分がもっとも正しいと思っている神を礼拝しあがめるところではありません。
この世界を造られた父なる神ご自身が、
すべての神々にまさるご自分の栄光を、
その究極の決断と行為によって、
ひとりの人がすべての人のために死んだという、
すなわち、神のひとり子イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という出来事として、
みずからが明らかになさるところなのです。

私たち人間にたいして、ただその出来事に耳を傾け、
聞き従うことを求めておられるだけなのです。
仮にも、教会において、
イエス・キリストの十字架の死によるあがないのわざという出来事が語られず、
精神性や慈善や孝行や謙遜や奉仕などといった、
人が人の模範となるような行為や徳目などが語られるならば、
そこに残るものは、かなえがたい難問だけではないでしょうか。
そこに残るのは、ただたえがたい重荷と疲れだけなのです。
それでは、キリストの教会でなくなってしまうのです。

聖書・バイブルが教えているのは、
決して人間的なものさしで人間を量ることをするなと言っているのです。
人間的なものには、必ず混乱がやってきます。
ただ教会にあるのは、祈りと神の言葉、そして御霊と知恵に満ちたミニストリーだけなのです。

「そして、彼がすべての人のために死んだのは、
生きている者がもはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。
かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。
神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、
かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。
すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、
その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、
わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。」

(新約聖書・コリントの信徒へのパウロの第2の手紙・5章15~19節・口語訳聖書)


北白川 スー

関連記事・「教会風景」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
su-kitashirakawa Official Website
Wrote up on May 14, 2008.