教会は、ひかり輝いているか・・・?



日本の現代社会であっても、多くの問題を抱えているのは事実です。
不安や、いらだちや、悲しみや、傷みや、いきどおりや・・・・。
そのような日本の状況にあって、
日本にあるキリスト教の教会は、どのような態度をとっているのでしょうか。

先の見えない混沌とした世界、そして現代日本・・、
その中で少なくとも良心的な人たちは、
キリスト教の教会に希望を抱き、また期待を抱き、そのとびらを開けるはずです。
そのとき、教会では何がメッセージされているのでしょうか。

多くの人たちは、キリスト教の教会は何であるかを、よく知っている。
しかし、そのことを忘れてしまったのが教会自身なのではないだろうか。

世界に、この日本に、社会に、人間に、精神に、
疑問を抱き、また希望を抱いて教会にやってきた人たちにたいしてキリストの教会は、
その飢え渇いた魂に応えることができているのでしょうか。

キリストの教会は、
その飢え渇いた魂に光りを与えることができているでしょうか。
希望を与えることが、いや、希望を示すことが出来ているのでしょうか。
”教会よ、お前えもか”と言われないように、
失望して、がっかりさせて去って行かれないないうに、
いちど去ってしまった人たちは、二度と戻っては来ないのだから。
教会は声高らかに、神の大いなる御業を語っているのだろうか。

ひとりの人がすべての人のために死んだという、
神のひとり子イエス・キリストの十字架の出来事を、
十字架の死による贖いの業という、あがないのわざを語っているのだろうか。
イエスの死と葬りと復活を語っているだろうか。

現実の教会の姿がどうであれ、
ここに、そこに、魂の飢え渇いた人たちがいることを忘れてはならない。
神を求め、真実をさがし求めている人たちがいることを忘れてはならない。
しかし、現実はどうだろうか、
キリストの教会に大きな期待と希望とを抱きながらも、
その教会に失望して、苦しみながら去っていかれた多くの人たちがいる。

キリストの教会とはいったい何なのか・・・・。
そこでは、キリストの福音が語られ、
人は、それを聞き、そして知り、信仰を与えられるところではないのか。

しかしながら、キリストの教会では、本当に福音が語られているのだろうか。
キリストの教会は、本当に、光り輝いているだろうか・・・・。

「イエスは、また人々に語ってこう言われた、
『わたしは世の光である。
わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことなく、
命の光りをもつであろう。』」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・8章12節・口語訳聖書)

教会においてこそ、神の恵みは、
イエス・キリストの人格において拝せられることを、
多くの人たちは知っている。
ただ、教会自身がそれに応えていないのが現実なのではないだろうか。
今求められているのは、賛美と祈りと御言葉にみちあふれた教会ではないのか・・・・。


北白川 スー

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Wrote up on September 03, 2007.