教会は、福音が建て上げる
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キリスト教の教会が人間社会の中に建っているその理由は・・・。
教会は ”福音 ”が建て上げると聖書・バイブルは物語っています。
もちろん信仰も、その基は ”福音 ”にあります。
教会の成長も、教会が増えて多くなるのも、
すべて ”福音 ”によると語っているのです。
「 わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
福音には、神の義が啓示されていますが、
それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
『 正しい者は信仰によって生きる 』と書いてあるとおりです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16〜17節・新共同訳聖書)
福音すなわち、
この世界を造られた創造主なる神の、
究極の決断と選択と態度の現われなのです。
神のひとり子であるイエスが、
罪人として十字架にかけられ処刑され、葬られ、
三日の後に死人のうちから復活した、
よみがえったという出来事・・・。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事なのです。
イエス・キリストの十字架の出来事こそ、神の究極の決断と選択と態度の現われなのです。
この出来事に、
キリスト教の信仰にかかわるすべての根拠が存在しているのです。
教会も信仰も、この出来事によって生まれ支えられているのです。
教会では、
神を信じ、神の愛を受け入れ、
神を心の中に迎え入れるなら、
神の子どもとされ、
神のビジョンを共有することができる・・・・・と、
そのように説明されますが、
肝心の、神について、神の愛について、
つまり、この世界を創造された創造主なる神の、
被造物としての私たち人間にたいする決断の出来事、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事。
イエス・キリストの十字架の出来事が解き明かされなければ、
すなわち、それが神の愛の出来事なのです。
神ご自身、神の愛、神のビジョン・神の計画など分かりません。
決して教会は人間のためのカルチャーの施設ではありません。
教会においてこそ、
一方的な神の恵みの出来事、
すなわちイエス・キリストの十字架の出来事においてだけ、
そのイエスを信じる信仰にたいしてだけ、
神はご自身を、私たちに示され明らかにされるのです。
教会においてのみ、
人となってこの世界に来られたという、
イエス・キリストを通して、
神の恵みが、
すなわち、神の啓示が、
すなわちイエス・キリストの十字架の出来事が拝されるのです。
それが道理にかなった礼拝であり、
この人間社会の中で教会が建っている理由なのです。
教会は、決して、さまざまな人間の、
さまざまな救いの方法や、
救いの装置でもなく、
さまざまな必要を満たし、
さまざまな不足をおぎなう施設でもありません。
教会はイエス・キリストのからだなのですから。
北白川 スー
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Wrote up on 23 July 2011.