初めて教会に足を踏み入れたとき



もともと宗教心が篤いとか、信心深いというのではなく、
ただキリスト教の教会の中をのぞいてみようといった、
軽い興味があってのことかもしれない。
それが、初めて教会の中に足を踏み入れた理由でした。

教会の牧師らしき人が説教をしていた、
それで、席について説教を聞いてみると、
どうも、クリスチャンとしてどうあるべきかというような内容のように聞こえました。

・・神様との生活がどうだとか・・・、
なんだか、堅苦しく、むずかしく、
クリスチャンすることって大変なことなのだと、そのように聞こえました。

それ以来教会へは行っていません。
それが最初で最後になってキリスト教への興味はなくなりました。

信仰とは、型にはめることのように聞こえたようです。
残念ながら、この人には、福音は語り伝えられていないようです。

「わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」

(新約聖書・ヨハネの第1の手紙・4章10節・口語訳聖書)

キリストの教会で語られる説教とはいったい何なのだろうか。
それは、人間の口から語られる言葉ではあるが、
人間の言葉とは、まったく性格を異にする、
神の言葉なのです。


北白川 スー

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Wrote up on January 18, 2010.