福音とは何かと問われたなら



福音とは何かと問われたなら。
福音とは、神の啓示だと・・・。
神の義は、福音の中に啓示されているのだと。

この世界を造られた、
この世界のあらゆるものを造られ、
私たち人間をも造られた創造主なる神が、
その被造物・作品としての私たち人間にたいして、
神の意思を、伝えようと、示されようとした事柄なのです。

それも、神のひとり子イエス・キリストの十字架の出来事を通して、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業(あがないのわざ)を通して・・・、
また基づいて、明らかにされ、
私たち人間に与えられたものなのです。

ですから、神の啓示・福音は、イエス・キリストの出来事を通さずに、
私たちのところに届き来るものではありません。

福音とは、良き知らせというものは、まさしく、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事にほかならないのです。

しかし現代に生きるの私たちは、
イエス・キリストの十字架の出来事を直接この目で見たわけではありません。
しかし、その場にいあわせた人たち、また見た人たちによって、
伝えられた証言を、
私たちは聖書・バイブルの言葉を通して知ることができるのです。

ですから、キリスト教の教会は、
その神の啓示の証しにもとづいて、
イエス・キリストの十字架の出来事の解き明かしにもとづいて、
聖書の言葉にもとづいて、
この世界の中に作られ存在し、たもたれているのです。

教会に集まる人たちは、
私たちに与えられた、その神の啓示を聞き、
ただ受け入れることができるだけなのです。
その神の啓示を受け入れ承認した人たちがクリスチャンなのです。

この世界を造られた創造主なる神は、
イエス・キリストの十字架の出来事においてのみ、
ご自身を私たちに示され知らしめられているのです。

私たちはときとして超自然的な現象の中に神を見ますが、
それは真の神ではありません。

教会の礼拝というものは、
私たちのすべてにかかわるところの、十字架の出来事の主人公であるところの、
イエス・キリストの人格を礼拝することによって成り立っているのです。
イエス・キリストをあがめ、また、たてることが礼拝なのです。
それが道理にかなった礼拝なのです。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・12章1節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on February 04, 2010.