サービス過剰な日本の教会



日本の教会は、サービスしすぎです。
人を神へ向かわせるものが礼拝であるにもかかわらず、
礼拝以外に、
人から人へ向かって流れるサービスの量の多さと言えば、
あれやこれやと、さまざまなプログラムが用意されています。

「 しかし、まことの礼拝をする者たちが、
霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。
今がその時である。
なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
神は霊である。
だから、神を礼拝する者は、
霊と真理をもって礼拝しなければならない。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・4章23~24節・新共同訳聖書)

この世界を造られ、私たち人間をも造られた神と、
人間との関係を認識する作業が礼拝です。

私たちは、直接にイエス・キリストの出来事は見てはいません。
しかし、その場に居合わせた、
その出来事を見た証人たちによって伝えられた証しを聞くことはできます。
それが聖書にあらわされた、預言者や使途たちの、
私たちに向かって語られている語りかけなのです。

キリストの教会は、
その出来事、つまり神の啓示を聞き、
また見た人々の証しによって、
私たちは神の啓示を信仰において認識することができるのです。
その出来事、その啓示は、
私たちの日常や暮らしと無関係ではありません。
とても深く大きく広くかかわっているのです。

「 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、
人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。」

(新約聖書・ピリピの信徒への手紙・3章3節・新改訳聖書)

教会は、施設でも装置でもありません。
決して現代日本のカルチャーではないのです。
この世界を造られた神は、まことの礼拝者を求めておられるのです。


北白川 スー

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Wrote up on October 11, 2009.