神を中心とする人間関係
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教会で最初に耳にするテーマが、
・・・クリスチャンとして、どのように生きたらよいのか、
それは、神を中心とする人間関係に生きることなのだと・・・。
初めて教会にやってきた人が、
このように聞き、また受け取ったとしたら。
クリスチャンならごく当然のこととして聞くかもしれませんが、
現代社会の病理の中で、
複雑な人間関係の中に生きていて、
濃密な人間関係から逃れたいと・・・、
なおかつ、そのような人間関係に傷ついてしまった人にとって、
教会が新たな人間関係を強いるところなのだと理解したなら、
その人は再び教会のとびらを開けることはないだろう。
このような話は、
実に、教会から離れてしまった多くの人たちから聞くこととなる内容のものなのです。
この話の中にはイエス・キリストによる罪の赦しについても、
救いについても、
わずかも含まれてはいません。
キリストの福音に接する前に、
教会の人間関係に疲れ、傷つき、福音に触れることがなかったのです。
ありのままの自分が受け入れられることを期待して・・・。
多くの人は、そのように思い、教会にやって来たはずです。
そうしてこそ、
神のひとり子イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という
(あがないのわざ)という出来事の内容と意味とを聞くことによって・・・、
自分とは何者であるのか・・・ということが分かり、
新しい人生への方向が示されるのです。
難しく言えば、改心への道が開かれるのです。
福音すなわちイエス・キリストの十字架の出来事が解き明かされず、
クリスチャンとして、どのように生きるべきかと語られるなら。
それは前後が逆ではないだろうか。
キリストの福音は、人間によるものではないからです。
人々が、イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という出来事を聞くことによってこそ、
そのようして初めて、キリストのもとへ来ることができるようになるのですから。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、
私たちが救われるべき名としては、
どのような名も、人間に与えられていないからです。」
(新約聖書・使徒の働き・4章12節・ 新改訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on January 21, 2010.