死人からの復活
キリスト教は、復活信仰とも言われます。
難しく言えば、聖書・バイブルでは、肉体の復活を歌っているわけです。
イエス・キリストは十字架刑で処刑され、墓に葬られたました。
そして、三日の後に死人から復活したのです。
あまり知られていないかもしれませんが、
キリスト教の信仰とは、イエス・キリストの復活を語り伝える信仰なのです。
もしも、キリスト教が本質的に復活信仰であることが知らされていないとするならば・・・、
または、仮にも語られていないとするならば・・・、
どのようなことが起きるかと言えば、
教会にたいして抱きかねない期待というものに例をとれば、
人は、なぐさめやはげましの言葉を期待することでしょう。
自分の生き方というものへの、
自分のやり方や考え方や立場などにたいする同意であったり、
自分を認めて欲しい受け入れて欲しい・・・・、
自分の意に添った形で・・・・・。
義は自分にあるのだと・・・・・・・。
受け入れられない自分を何とかしたいと・・・・・・。
自分の思い描く生き方にたいして肯定的な言葉が欲しいのです。
しかし、イエス・キリストは言われた。
「わたしは彼を眠りからさましに行くのです。
わたしは彼を起こしに行く」・・・・・・・・と。
(新約聖書・ヨハネによる福音書・11章11節 )
イエスは、はげましやなぐさめに来られたのではなく、
眠りから、起こしに来られたのです。
これが、まさしく福音の本質なのです。
福音とは、はげましやなぐさめではありません。
方向転換を求めるものなのです。
新しい領域へと移させるものなのです。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
(新約聖書・マタイによる福音書・4章17節・新改訳聖書)
神の支配は間近にせまっているのだから、悔い改めよと。
人は、なぐさめの言葉を期待します。
自分にたいする肯定的な態度と言葉が欲しいのです。
しかし、イエスはそうではない、
イエスは、はげましに、なぐさめに来られたのではなく、
眠りからさましに来られたのです。
墓から、出て来なさい・・・・・・と。
墓の外に、見えるところに出てきなさいと・・・・。
イエスは彼女に言われた、
「わたしはよみがえりであり、命である。
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか」。
(新約聖書・ヨハネによる福音書・11章25〜26節・口語訳聖書)
混乱の中をさ迷い歩いている私たち人間・・・・・、
神からの語りかけを聞こうとはしない人間たち・・・・、
だから混乱の中を歩まなければならなくなったとは知らず、
信仰とは、自分の義ではなく、神の栄光のためにあるのです。
イエス・キリストへの信仰とは、
その人を新しくするものなのです。
苦しみや不安や心配から、
新しい希望を土台とした人生へと、
イエス・キリストへの新しい信頼を基に、新しい人生を築き上げるものなのです。
イエス・キリストと共に歩む人生へと進ませるのです。
あなたを眠りから起こしに・・・・・・。
墓の外に、見えるところに出てきなさいと・・・・。
北白川 スー
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Wrote up: 20 March 2009.