日本は、福音を必要とはしないのか



日本の社会や人たちは、福音を必要とはしないのでしょうか・・。

現代の日本の社会における、キリスト教にたいする期待は、
決して聖書が言うところのものではない。
日本の社会は安心している、キリスト教は脅威ではないから。

もしも、強い影響力を持っているとしたら・・。
本来なら、キリストの福音は、価値観を一変する驚きの情報を持っています。
しかし、現実は、日本の社会へは、
福音は、正確には伝わってはいません。

聖書・バイブルは、”信仰を働かせる”ことを求めています。
決して行為や行動を求めているのではないのです。
信仰を働かせることによって、
普段の日常の行為や行動、物の考え方さえ変わるのです。
決して新たな行為が増し加わるものではない。

信仰を働かせるとは、
聖書の価値観に基づいた確かな姿勢を証明するものと言っていい。

「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、
行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。
そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。」

(新約聖書・ヤコブの手紙・2章14節・新共同訳聖書)

ここで言われる行ないとは、行為や行動を指しているのではありません。

信仰というものは、物事が見えていない偏った、
非科学的な態度だと思われている。
人を盲目にするとさえ言われています。

しかし、聖書・バイブルが言うところの信仰とは、
論理的であり、道理にもとづいた、
広い視野と、すぐれた観察力で見抜く深い洞察力を持つものなのです。

かたよらず全体を見渡す洞察力に長けていると言っていい。

日本では、クリスチャンは少数派ですが、
その少数派のクリスチャンが、
真に聖書・バイブルの立場に立つなら、
聖書・バイブルに立って発言し行動するなら・・・。
日本の社会は変わることでしょう。

少数派に甘んじ、今のままで良いとするなら・・。
今のままが心地よいと思うのなら・・・。
また、現代社会から避けることが良しとするなら・・。
それは、決して聖書が言うところのものではない。

聖書的な言い方をすれば、
偶像崇拝に満ち満ちた日本の社会を、
キリストにある社会に変えることを求めているのです。
クリスチャンは、キリストの戦士であることを忘れてはならない。

「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。
正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。
光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。」

(新約聖書・コリントの信徒への第二の手紙・6章14節・新改訳聖書)

キリスト教の信仰は、
創造的で、建設的なものであり、
決して後ろ向きのものではありません。


北白川 スー

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Wrote up on November 28, 2014.