聖霊の火を消すな
-
-
ある壮年男性の話しをします。
さほど宗教に熱心でもなく、信心深いとも言えず。
しかし、少しはキリスト教に興味はあるものの、
教会の日曜日の礼拝に、すすんで行く気もありません・・。
クリスチャンの友人に勧められて、
ある都市のホールで開かれた聖会に興味半分で行ってみました。
その聖会がどこの団体によって主催されたのかも興味なく、
どこの教会なのか、教団なのか教派なのか・・・・。
その違いも定かではありません。
しかし、聖会のプログラムが進むにつれて、
その男性に変化が現われました。
聖会でのメッセージが論理的に、
合理的に筋道をつけて分かったのではありません。
理解したのでもありません。
彼は、聖霊の油注ぎを受けたのです。
彼は、何が起きたのか、まだ理解していません。
しかし、イエス・キリストを受け入れることを、
洗礼を受けることを・・・・・。
いや、受け入れなければならない・・・・。
洗礼を受けなければならない・・・・・・。
そのような思いが、ふつふつと湧き上がってくるのです。
彼は確かに聖霊の油注ぎを受けたのです。
筆者は、現場に居合わせたわけではありませんが、
数日後に面会したところ、確かに変化を見てとりました。
彼は確かに聖霊の油注ぎを受けたのです。
「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、
御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。
この救いは、
聖霊によって新しく生まれさせ、
新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、
この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。」
(新約聖書・テトスへの手紙・3章5〜6節・新共同訳聖書)
しかし、彼は、どうすればいいのか分かりません。
そこで、彼は、友人のクリスチャンに、
また私・筆者にもメールしました。
筆者も友人も、即答します。
教会へ行って洗礼を受けるべきだと・・・・。
この展開を知りえる者は、すべて即答します。
教会へ行って即洗礼を受けるべきだ・・・・と。
そこで、彼にペンテコステ系の教会を紹介しました。
この展開を知り得ている者は皆期待していました。
しかしながら、彼が洗礼を受けたのは、
ほぼ1年の後でした。
即、洗礼でもなく、即、信仰の告白でもなく、
先ずは、毎週行われる礼拝に出ること、
そして教会の兄弟姉妹との交流を持つこと、
洗礼に向けた教育を受けること、
教会の行事や働きに加わること・・・・・等々。
それで、結局は、洗礼まで要した日数が、
ほぼ1年ということになりました。
その後の彼の様子は伝わっては来ません。
その後のペンテコステの教会の様子も伝わっては来ません。
何ら以前と変わらないそうです。
あの聖霊の油注ぎは、どこへ行ったのでしょうか。
「神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。」
(新約聖書・エペソ人への手紙・4章30節・新共同訳聖書)
「あなたがたもまた、キリストにおいて、
真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、
そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、
こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。」
(新約聖書・エペソ人への手紙・1章13〜14節・新共同訳聖書)
北白川 スー
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
su-kitashirakawa Official Website
Wrote up on May 14, 2018.