教会へいったら、何か良いことありますか



クリスチャンなら、必ず日曜日となれば教会の礼拝に行きます。
よく、クリスチャンでない方から、「教会へ行っていたら、何か良いことがありますか」と聞かれます。
それは、いくぶんかは同情の意味が含まれているのでしょう。
また、宗教するなんて、
弱い者が女々しい者のすることと思っている人は、意外と多いものです。

キリスト教の信仰というものを、消極的で恥ずべきものと考えている人もいます。

クリスチャンという人間を、
困難な状況に、難しい局面に立たされたとき、
それに立ち向かっていく気力や勇気が乏しく逃げ腰で、
何ごとにもすぐにくじけてしまうように見られているのかも知れません。

どちらにせよ、信仰というものを、
後ろ向きで消極的なものと考えているわけです。

共同社会の中で、家庭や学校の中で居場所がなくて、
やっと見つけたのが教会なら・・、

日本の社会が、キリスト教の教会というものを、とくべつな役割をもった施設として、
心の病を負った人たちや、社会的弱者や、
現代社会の病理の中で傷つき病んでしまった人たちの、
受け皿としての役割を、教会が受け持つものと考えているのではないでしょうか。

しかし、それが教会の大切な働きであっても、決してすべてではありません。
ごく一部分の働きに過ぎないのです。

多くの人たちは、キリストの教会は、自分たちには必要のない、
かかわりのないところだとさえ思っているはずです。

どうも日本人はキリスト教というものを誤解しているようです。
日本ではなかなか理解されない、また明らかにされていない、
もっと別な、さらに大きな意味があるのです。

それは、
とくべつな、限られた人たちだけに開かれた施設ではなく、
富んでいようが貧しかろうが、病んでいようが健康であろが、
性別や肌の色や言葉などの違いによってではなく、
宗教の違いがあっても、
なにものによっても分けへだてすることなく、
すべての人たち向けて、意味を持って、教会の扉は開かれているのです。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、
私たちが救われるべき名としては、どのような名も、
人間に与えられていないからです。」

(新約聖書・使徒の働き・4章12節・新改訳聖書)

キリストの教会は、慈善とか孝行というような、
広い心を持つことを要求するような行いを提案するところでも提供するところでもありません。
また、倫理とか人間性とか、人はそうあるべきだと考えることもしません。

教会は、礼拝と祈りの宮なのです。
聖書の神が、父なる神が求めているのは、
生きて働く神への礼拝であり、
神をおそれ、たたえ、あがめ、神に聞く、
生きた神の言葉によって、礼拝する者の魂を心を十二分に満たすことであり、
また、おとろえた魂の心の回復なのです。
それほどまで私たち人間というものは、ひとしく、心は疲れ、弱りはてているのです。

しかし、人はだれもそうとは思ってはいません。
だから、多くの人たちは、自分たちには必要のない、
かかわりのないところだと思っているのです。

ではなぜ、教会のシンボルは十字架なのでしょうか、
なぜ、イエス・キリストなのでしょうか。
キリストすなわち救世主・メシアなるイエスが生まれたいうことは、
この世界が神の目から見て堕落してしまっていることを表しています。

すべての人間が、深い泥沼の中に迷い込み、
逃げることも救われることもできない状況でなかったなら、
メシア・救世主・キリストなるイエスがこの世界に来る必要などなかったのてす。

多くの日本人のキリストの教会にたいする見方や考え方には、
この点が抜け落ちています。

だから、
・・教会へいったら、何か良いことがありますか・・という言葉になるのです。

自分自身の、生まれながらの欲に満ちた、品性の無さや分別の無さというひどさを、
見ようともしないのは、感じようともしないのは、
生まれながらに負っている、性質としての、罪深さがあるからなのです。

人は、決して、無分別だとも堕落しているとも思もっていないはずです。
人の欠点や過失を取り上げて責めることができても、
自分自身のこととなると、決して認めようとはしないものです。
自分を客観視することができてこそ、
自分という人間は、なんと罪深い存在なのだと分かってこそ、
”救い ”という言葉も理解できるはずなのですから。

私たちは、神の裁きから救われなければならないのです。
そうであってこそのキリストの教会なのです。


北白川 スー

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Wrote up on December 27, 2015.