キリスト教の信仰が広まるためにも


 日本を含めた世界は、

 歴史的に見て2011年という年は歴史に残る1ページに違いありません。

 東日本大震災、原発事故、東シナ海、世界金融危機、

 EU財政破綻、イスラエルとアラブ世界・・・・などなど。

 日本の多くの人たちは、

 またクリスチャンでさえ、

 それらを信仰とは何のかかわりのない事柄だと思っているはずです。

 しかし、

 その中にあって、日本のクリスチャンは、

 政治や経済にあっても、

 教育にあっても、

 医療や介護であっても、

 時々刻々変化してやまない社会のあらゆる局面において、

 キリスト教徒が・より建設的な声を・広く発信して行く必要性がある今日なのです。

 キリストへの信仰というものが、

 信仰生活の中身そのものが、

 日常的な生活とのかかわりの中で、

 勤勉で浪費を好まず簡素な生活をする、

 キリスト教的な禁欲生活という形で、

 暮らしのあらゆるシーンに現わされて行くならば、

 少なくとも、今日、現実に起きている、

 社会的な、あらゆる混乱や困難から、

 社会を、その中で暮らす人たちを、

 倫理的に見ても、行動的に見ても、

 より良き状態へと導くはずなのです。

 キリスト教の信仰というものが、

 ごく個人的なものと捉える傾向に、

 日本のキリスト教界をとりまく現状はあるように見受けますが、

 聖書・バイブルは、

 この世界を造られた創造主なる神は、

 究極の選択と態度の決定という、

 ひとりの人がすべての人のために死んだという、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事に現わされているように、

 すべての人々に救いの手を差し伸べようとされているのです。

 言い換えれば、

 キリスト教の価値観は、

 個人主義を超えたものとして示されているのです。

 現在の世界と言えば、

 なにごとにおいても、

 とめどなく浪費が広がり、

 後がないほどぎりぎりのところまで来ています。

 今その流れを押しとどめなければ、

 破局が待っているだけなのです。

 ひとりひとりが創造主なる神に立ち返るなら、

 言い換えるなら、

 共同体全体の益のために、

 キリスト教徒が働くならば・・・・。

 グローバルなグランド・デザインに立つならば・・・。

 神の御旨に立つならば・・・。

 私たち人間を創造された神が言われたように・・・・。

 恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、

 食物と喜びとで私たちの心を満たしてくださっているのは、

 創造主なる神なのです。

 人間的な、むなしいことを捨てて、

 天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るなら・・・・・。

 いまある混乱と苦しみの中から抜け出すことはできるのです。


 「 弟子たちを力づけ、

 『 わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない 』と言って、

 信仰に踏みとどまるように励ました。」

 (新約聖書・使途言行録・14章22節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on 06 December 2011.