たった一度の人生だから



たった一度の人生だからこそ、
自分の思うように生きることが・・・。
また、自由に生きることが素晴らしく。
そうであることについて、
なんら疑いをはさむ余地がなく、
富や快楽や成功や成績につながると。
人間として当然なことのように・・・・。

きれいな言い方をすれば、
自分の可能性を信じて生きることが、
自分を活かすことにつながり、
今日を充実して生きることができて・・・。
明日をよりよく生きて行けるのだと。

しかし、聖書・バイブルは、そのようには語りません。
なにをしても良いというのではなく、
欲望のままに生きていいのではなく、
たった一度の人生だからこそ、
”その人生によって決まるもの ”のために、
生きなければならないのです。
私たちの肉体の生は死で終わりますが、
人生は死で終わるのではなく続きがあるのです。
永遠の命か、それとも永遠に続く苦しみか・・・・のどちらか。
天国か地獄か・・・。
命は神によって人間に吹き入れられたものです。
人間の命は神の手の中にあります。
聖書・バイブルは、
神の怒りの裁きが待ち構えていると警告しています。

「なぜなら、わたしたちは皆、
キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならないからです。」

(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章10節・新共同訳聖書)

だからこの人生を大事大切なものとして捕え、
考えなればならないのです。
実際、人間はこの自然世界を壊し続けています。
創造主なる神は、
この世界を素晴らしいものとして創られましたが、
神の作品・被造物としての人間は、
この世界を支配しているのは自分たちだとばかり思いあがり・・・。
その結果が、この世界は際限なく壊れ続けています。
この報いは厳しく大きいものとして現実のものとなっているのです。

神は人間を素晴らしい存在として創られにもかかわらず、
神に背き、罪の中をさ迷い歩いている人間たち。
創造主に栄光を返すことをせず、
その命を無にしているのは人間たち自身なのです。

「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、
神によって建物が備えられていることを、
わたしたちは知っています。
人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」

(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章1節・新共同訳聖書)

私たち人間は作者である創造主なる神に栄光を返すために創造されたことを忘れないでください。


北白川 スー

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Wrote up on 15 June, 2013.