日本人にとって福音とは何
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 キリスト教の信仰にとって、
 ひとつの教会であっても、
 ひとりのクリスチャンであっても、
 切ってもきれない関係にあるもの、
 それが無くては成り立たないものとしての、
 キリスト教の言うところの ”福音 ”について、
 日本人にとって福音とはいったい何なのでしょうか。
 福音とは、すなわちイエス・キリストの出来事なのです・・・。
 現実は、あまりにも知られていない、
 この出来事の内容と意味とが、
 広く日本人の中に、
 正確に伝わっているわけではありません。
 日本人にとって、福音、
 すなわち良き知らせと言われるものが、
 神のひとり子、イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事が、
 だれひとりの例外もなく、
 当てはまらない人など、ひとりもいない出来事として、
 すべての人の罪をその身に負い、
 罪人として十字架にかけられ処刑され、
 すべての人の罪の代価をその命をもって支払ったという・・、
 さらに、葬られ。三日の後に死人のうちから復活したという・・・。
 このイエス・キリストの出来事こそ福音そのものなのです。
 罪とか、罪の赦しとか、神の裁きとか、裁きからの救いとか・・・。
 これらについて解き明かされるものとしての福音が、
 しかしながら、
 日本人にとってイエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事は何を意味しているのか。
 福音の内容と意味とが広く知らされていない以上・・・、
 知らない人にたいして、
 取りたてて非難することなどできません。
 キリスト教の信仰は、
 このイエス・キリストの十字架の出来事によって、
 この人間世界に生まれ広がってきたのですから。
 「 実に、信仰は聞くことにより、
 しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」
 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)
 言い換えれば、
 すべての人は、神を知るために生まれてきたということなのです。
 創造主なる神によって、人間が創造されたときから、
 心の中に植えつけられている神への思いを、
 しかし、いつしか忘れ去ってしまった神への思いを、
 リバイバルすること・・・・。
 私たち日本人にたいして示されたイエス・キリストの十字架の出来事こそ、
 神への思いを復活再生させることのできる出来事そのものであるということ。
 ただイエス・キリストにおいてだけ、
 イエス・キリストへの信仰にたいしてだけ、
 ご自身を、私たちに知らしめられるのです。
 福音と信仰とは、切っても切れない関係にあるのです。
 そのものと言っていいのです。
 仮にも福音が語られない信仰があるとしたら、
 それは実質のないむなしいものなのです。
北白川 スー
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Wrote up on  March 02, 2012.