福音とは何



福音・フクインと言えば、
”ひとりの人がすべての人のために死んだ ”という出来事。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事であるわけですが・・・・。
つまり福音は、すべての人が対象なのです。

「 わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16節・新共同訳聖書)

しかし、この日本では、そのように理解されていないようです。
”弱者救済 ”という認識のようです。
社会的に弱い人たちをケアするのが教会だと。
またその役目を担うものだと。
社会の影の存在なのです。
決して社会のリーダーシップを取るものではないのです。

福音とは、良き知らせとも言われるものです。
ゴスペル・Gospel です。

すべての人がその対象であり適用されるものなのです。
人間は、神の啓示の対象として扱われる存在なのです。
福音がビジョンとなり、
さまざまな活動を支える、
精神活動を支えるものとなるのです。

「 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。
わたしたちはこう考えます。
すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、
すべての人も死んだことになります。」

 (新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章14節・新共同訳聖書)

さまざまな問題を抱えている共同社会が日本の現実です。
だから、人はさまざまな事情から重荷を抱え、
また疲れ傷つき教会に足を向けることになります。

それらは、本来なら社会自体の問題であり、
社会自身がその問題の解決に取り組まなければならないのです。

聖書・バイブルの考えは、
人間の共同社会の欠陥を、
人間性の欠陥にまでさかのぼって考えようとするものなのです。

キリスト教の福音は、すべての人が対象であり、

すべての人に当てはめられるのです。

すべての人に共通する問題を取り扱うものなのです。

決して特別な人、限られた人が対象ではありません。

福音とは、創造主なる神が、
神の作品・被造物としての人間にたいして発せられた、
究極の決断と態度の決定という、
神の啓示だからです。

神の啓示とは、
明確な神のグランドデザインであり、
グローバル・スタンダードなのです。

”信じる者すべてに救いをもたらす神の力 ”なのです。

人間社会を考える場合、
プロテスタンティズムの倫理と精神が、
人間社会に、経済や教育や医療などなどに、
大きく影響を与えるものと言っていいでしょう。


北白川 スー

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Wrote up on May 05, 2013.