福音は語られていますか



さて、福音って何ですか・・・。
クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、
すべての人間に向けて、
どのような事柄が福音なのか、
具体的に説かれ解き明かされているとは、
言い難いのが日本が置かれた現状・現実かもしれません。

福音が語られるところにおいてこそ、
信仰が生まれ、信仰によって生きることができるのです。
信仰というものが、
人生の土台となり暮らしを支えるものとなるからです。

「わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
福音には、神の義が啓示されていますが、
それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16〜17節・新共同訳聖書)

キリスト教の教えにおいて、もっとも基本的で根本的な事柄は、
私たちすべての人間は、創造主なる神にたいして罪を犯して、
裁かれなければならない存在となったのです。

だから問題となるのは、
天国と地獄、神の怒りの裁きからの救い、そして死からの復活です。

神の怒りの裁きに背を向けるなら、
待っているのは地獄だけです。
神の怒りの裁きに向き合うならば・・・・。

私たちに代わって、神の怒りの裁きを、
その身に受けてくださったイエス・キリストを、
自分の主として受け入れ、全面的に従うならば、
神の怒りから救われ、
つまり死から復活し、
永遠の命へと移される約束を手にすることができるのです。

神の怒りの裁きとか、復活とか、永遠の命とか・・・・は、
私たち日本人の普段の生活において、
聞くことのない事柄です。

つまり、福音が説かれ解き明かされていない証しかもしれません。

ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ・・・、
あがないのわざという出来事の内容と意味とが、
具体的に説かれ解き明かされていない証しなのです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者は裁かれない。
信じない者は既に裁かれている。
神の独り子の名を信じていないからである。
光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、
光よりも闇の方を好んだ。
それが、もう裁きになっている。
悪を行う者は皆、光を憎み、
その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
しかし、真理を行う者は光の方に来る。
その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜20節・新共同訳聖書)

少なくとも福音の内容と意味とかが具体的に説かれているのなら、
日本の現状は、一味変わったものに成るに違いありません。
誰しも地獄行きなど好みませんから。


北白川 スー

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Wrote up on February 27, 2018.