キリスト教は何を伝えようとしているのか
キリスト教の教会は、
この世界を造られた。
私たち人間をも造られた創造主なる神の、
その神のひとり子イエス・キリストの、
生と、死と、復活において備えられ、
かつ明らかにされた、
必ずやってくる神の裁きからの、
" 救い "について説き証しているはずです。
罪にたいしては必ず裁きが待っています。
「罪が支払う報酬は死です。
しかし、神の賜物は、
わたしたちの主イエス・キリストによる永遠の命なのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・6章23節・新共同訳聖書)
なぜ私たちは裁かれなければならないのでしょうか、
それは罪を犯したからです。
つまり、だれひとりの例外もなく、
すべての人は、生まれながらに神にたいする罪深さという性質を負っているのです。
なぜ神にたいして罪深い存在なのかということも解き明かされなければならないでしょう。
またその性質が、さまざまに私たちの暮らしや人生や営みに、
深く深く影響を与えていることをも明らかにしなければならないでしょう。
私たちは、ときどき過ちを犯すから罪深いのではなく、
常に罪深いから過ちを犯すのです。
それも罪とは知らずに・・・・思いや言葉や行為行動となって。
それが現実の私たち人間の姿なのです。
人間の社会なのです。
キリスト教は、どのようにすれば、その罪から解き放たれ赦される(ゆるされる)かを明らかにしています。
そして何が正しいことなのか、義なることなのかを明らかにしているのです。
私たちの価値観ではなく、神の価値観が義なのだと。
どのようにすれば、罪深さから解き放たれ、神の前に正しい者として立つことができるのでしょうか。
それを明らかにしているものこそ、
イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)の「わざ」なのです。
その内容と意味なのです。
私たちは贖われた存在なのです。
しかし、それを信じなければなりません。
さらに、それにつりあった調和のとれた方向転換が求められます。
そうしなければ救いはありません。
「口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、
あなたは救われるからです。」
(新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・10章9節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up: 27 January 2010.