ただ恵みによる・神の贈り物
キリスト教の教会では、またクリスチャンの会話の中にも、
よく使われる ” 恵み ” (めぐみ) という言葉があります。
この恵みという言葉の意味している内容とはいったいなんでしょうか。
それは、旧約聖書・新約聖書のすべてを通して明らかにされているもので、
この世界を造られた創造主なる父なる神の、
狭くて広いこの世界の中でイスラエルを選ばれたということと、
神のひとり子イエス・キリストによる全人類へ向けられた、
無条件の愛をあらわしています。
すなわち、イエス・キリストの十字架の死による贖い(あがない)のわざのことなのです。
私たちの罪を、イエス・キリストの命をささげることにより贖われたという、
ただイエス・キリストによる贖いの業(わざ)を通して、
神の無条件の私たちに送られたギフト・賜物(たまもの)のことなのです。
「 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、
すべて信じる人に与えられるものである。
そこにはなんらの差別もない。
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
彼らは、価なしに、神の恵みにより、
キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章24節・口語訳聖書)
まさしく、キリスト教信仰の中心的なテーマであると言いきってもいいでしょう。
神のひとり子イエスの誕生と、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事は、
ただ恵みによる、神の一方的な無条件な愛のあらわれなのです。
よく誤解されるのですが、
恵みとは、決して経済や健康や人間的な和といったようなものではありません。
信仰によって何かが得られるというようなものではありません。
恵みとは、私たち人間に向けた神の一方的な無条件の贈り物なのです。
ただそれを信仰によって受け止めることだけを、
この世界を造られた神が、
被造物である私たちに求められているのです。
「 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、
――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――」
(新約聖書・エペソ人への手紙・2章5節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up: 30 May 2010.