主の祈り・・日ごとの糧を与えたまえ
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「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」
(新約聖書・マタイによる福音書・6章11節・新共同訳聖書)
私たちは生活のために働いている・・・。
しかし聖書は、自分の食べる分だけ集めよと、
それ以上は残してはならないと言う。
私たちには、さまざまな必要がある。
だから、余りあるほど求める。
そして、明日の不安から、たくわえもする。
だから、必要な糧を今日も与えよと祈る。
決してその日その日ではないのである。
「そのとき主はモーセに言われた、
「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。
民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。
こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。」
(旧約聖書・出エジプト記・16章4節・口語訳聖書)
聖書は、
自分の食べる分以上に集め、また残したものには、
虫がわき、悪臭を放つと・・・とも言う。
日本を、また世界を見てみよう。
国家的な負債に苦しみ・・・。
大きな苦難を背負っている・・・。
日本も、例外ではない。
しかし、多くの民は、問題を先送りする。
余りある糧を得ようと今日もあくせく働く・・・。
日増しに負債は増し加わるだけである。
問題が山のようにあっても、
肉なべの前に座り、パンを満ち足りるまで食べたいのだ・・・・。
私たちには、安息が与えられていることを忘れて・・・。
豊かさへ走り続けている。
キリスト教の信仰は、
創造主なる神に立ち返ることを求める。
私たちは・・試みに合わせるな・・とも祈るが、
まったく、わがままそのものなのである。
日ごとの糧を与えたまえと祈るとき、
自分たちの行動の足跡や心のあり方を深く見つめ直すことを、神は求めている。
決して豊かさを成功や繁栄を求める祈りではない。
北白川 スー
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on August 17, 2014.