苦難の中にあってこその信仰
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クリスチャンと言えば、
遊びやごまかしではなく、持てる時間と力をささげて、
それは様々にボランティア活動に取り組んでいます。
そして様々に立ち働き、気が落ち着かず、思い悩み・・・。
心を乱しているのが現実かもしれません。
聖書・バイブルが次のように語っているからでしょうか。
「 ・・・・・行いが伴わないなら、
信仰はそれだけでは死んだものです。」
(新約聖書・ヤコブの手紙・2章17節・新共同訳聖書)
行いのない信仰は、むなしいのでしょうか。
ですから、クリスチャンになったら、
人々の役に立つような、
何かをやらなくてはと、思い始めるのです。
しかし、聖書が語っている ”行い ”とは、
”信仰を働かせる ”という意味のことです。
決して行為や行動のことを言っているのではありません。
ことに日本のキリスト教の信仰は、
信仰を持っていれば何事でも祝福され成功へ導かれる・・・という、
心が、成功することへの期待でいっぱいと言っていいでしょう。
信仰は、経済であれ健康であれ人間関係であれ、
それらを望むような豊かさを与えるものだと信じているのです。
成功志向なのです。
ですから、うまく事が運ばなくなれば、
心は混乱し、思い悩みは増してきます。
聖書・バイブルは、本当に成功志向なのでしょうか。
信仰を持てば、
経済的にも物質的にも満たされた豊かな一生を送ることができるのでしょうか。
この世界を造られた神の計画は何でしょうか・・・・。
なぜ、イエス・キリストは十字架にかけられ、
命を差し出してまで、
死んでまで、私たちの罪を贖って(あがなって)くださったのでしょうか。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、
ひとりの人がすべて人のために死んだという出来事は、
私たちの成功思考のための死だったのでしょうか。
聖書が語る世界観は、
世界は、終末へと、世の終わりへと、
世界の崩壊へと突き進んでいると語ります。
やがて、必ずやってくるこの世界の終わりのとき、
世界の終わりのとき、
それは、神の裁きのときなのです。
世界の崩壊から神の裁きへと・・・。
では、神の裁きから救われるには・・・。
その神の審判からの救い・・・・。
それには神との和解が必要であり、
和解なくして救いはあり得ません。
和解の出来事こそイエス・キリストの十字架の死によにる贖いのわざという出来事なのです。
世界の終わりへ向かって、
私たち人間の苦難は続きます。
苦難の末、世界は終末をむかえるのです。
私たちをとりまく世界を見てみましょう。
未来は明るいと信じていても、
現実は、決して未来は明るいものではありません。
私たち人間は、どのようにして何の目的のために創造され、
なぜ滅んで行くのでしようか。
そして、滅びの先には何が待っているのでしょうか。
ですから聖書は次のように語るのです。
「 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、
わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
このキリストのお陰で、
今の恵みに信仰によって導き入れられ、
神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、
定められた時に、
不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。
善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛を示されました。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であったときでさえ、
御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、
和解させていただいた今は、
御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちは神を誇りとしています。
今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章1〜11節・新共同訳聖書)
今は苦難のときなのです。
この世界に生きている以上・・・、
それは苦難の連続と言っていいのです。
苦難の先に待っているもの・・・・。
それは、神の栄光のときです。
信仰ある者の希望のときなのです。
今の苦難も神の計画の一部であり、
苦難は忍耐を生みだします。
忍耐が練られた品性が生みだされ、
練られた品性が希望を、
神の栄光へ導き入れられる希望を生みだすのです。
北白川 スー
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Wrote up on 13 February 2012.