切り口が見つからない



福音を少しでも広めようと、ここ10年ネットで発信し続けてきました。
しかし、この日本では、依然として、キリスト教の信仰は少数派に終始しています。
正直なところ、私自身、何を伝えれば良いのか切り口が見つからないのが現状です。
日本では、福音を共有することに、何か障壁でもあるのでしょうか。
何かが立ちはだかり妨げになっているのでしょうか。

クリスチャンが増えるということは、
福音を理解し、自分のものとして受け入れることを意味しています。
福音の内容と意味とを理解し、
承認し、受け入れた者がクリスチャンになるわけです。

ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事、
すなわち、私たちに明らかにされた、神の啓示の出来事の、
内容と意味とを理解し、承認し、受け入れた者だけが神の子とされるのです。
言い換えれば、神の子として復権すると言っていいでしょう。
それがクリスチャンなのです。

しかし、
日本では、自分の思うとおりに成ることが福音だと思っている人は実に多い。
” それが ” 福音だと・・・・・。
自分を信じれば、必ず勝利すると・・・。
自分は正しいのだと・・・・。
またそれが ” 救い ” だと・・・・。

しかし、聖書は、そのようには言わない。

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、
私たちが義と認められるために、
よみがえられたからです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・4章25節・新改訳聖書)

私たちは、ひとりの例外もなく罪人だと言っている。
すべての人間は、弱くて愚かな存在なのだと・・・。

聖書は、自分の義ではなく神の義を求めよと言っている。

「わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
福音には、神の義が啓示されていますが、
それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
・・正しい者は信仰によって生きる・・と書いてあるとおりです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章17節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on January 01, 2015.