
何によって神を知るのか

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 はっきりしていることは、
 私たちは、神について何も知らないということです。
 神は、私たちと異なる人格であるからです。
 さらに、私たちは、神のような人格ではないということです。
 それが、私たちの限界なのです。 
 「 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、
 神は天から怒りを現されます。
 なぜなら、神について知りうる事柄は、
 彼らにも明らかだからです。
 神がそれを示されたのです。
 世界が造られたときから、
 目に見えない神の性質、
 つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
 これを通して神を知ることができます。
 従って、彼らには弁解の余地がありません。」
 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章18〜20節・新共同訳聖書)
 私たちは、滝や岩などの自然の造形物を神とみなして、そのように扱います。
 しかし、それが私たち人間の限界なのです。
 聖書・バイブルが言うところの、
 ”神について知りうる事柄 ”とは・・・。
 すなわち、イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事に、
 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事によって、
 私たちは、私たち人間と最も関係の深い、
 未知なる神を知ることとなったのです。
 「 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
 それは御子を信じる者が、
 ひとりとして滅びることなく、
 永遠のいのちを持つためである。
 神が御子を世に遣わされたのは、
 世をさばくためではなく、
 御子によって世が救われるためである。」
 (新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新改訳聖書)
 イエス・キリストの十字架の出来事に接することができなかった者は、
 または、聞く機会に恵まれなかった者は、
 神を、自分の思い描く神であって欲しいと考え、
 また、そうあるべきだと主張します。
 少なくとも、私たちの生き方の不安定さ不完全さに、
 少しでも目を向けることができたなら、
 真の神について、
 知ることのできる手がかりを手にしたかもしれません・・・。
 キリスト教の信仰では、
 イエス・キリストの十字架の出来事によって、
 神の心を知り、
 神そのものを知ることになるのです。
北白川 スー
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Wrote up on  13 August, 2012.