キリスト教の教会が伝えようとしているものとは
キリスト教の教会では、何が語られているのかと言えば、
まず何よりも先に明らかにされることは、
イエス・キリストの十字架の出来事なのです。
そして、その内容と意味なのです。
イエスが十字架に手首足首をくぎ打たれ、
罪人として処刑されたこと、
そして、葬られ、三日の後に死人のうちからよみがえった・復活したという出来事です。
キリストとは救い主のことです。
つまり、メシア・・救世主なのです。
「 きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生れになった。
このかたこそ主なるキリストである。」
(新約聖書・ルカによる福音書・2章11節・口語訳聖書)
救世主がこの世界に生まれ来たということは、
この世界が救い主・メシア・キリストを必要としていることをあらわしています。
つまり世界が堕落している証拠なのです。
人間社会が、また私たち人間が、
逃げることも救われることもできない状態でないなら、
メシア・救い主・救世主がこの世界に生まれ来る必要などないのですから。
救い主キリストつまりメシアは、
メシアとは、この世界を創造された神が世を救うためにつかわした救世主を意味します。
その救い主イエス・キリストが十字架にはりつけにされ罪人として処刑されたということは、
ひとりの人がすべての人のために死んだということをあらわしているわけです。
すべての人の身代わりとして処刑されたのです。
すなわち、私たちすべての人間は罪深い存在であることを意味しています。
社会の悪い環境や構造によって人間が悪くなったのではなく、
本性的に、生まれたときから罪深い存在なのです。
この世界を造られた創造主なる神は、
世界を、また人間を素晴らしいものとして創造されたのですが、
最初の人間アダムが神に背いたことにより、
それに続く人類は罪深さを背負って生を歩まなければならなくなったのです。
素晴らしい地球を現在のように問題の多い環境にしてしまったのは私たち人間、罪深い人間たちなのです。
当然のこととして、創造主なる神によって裁かれるのです。
その神の裁きを、その身に受けられたのがイエス・キリストなのです。
しかし、そのイエス・キリストに属することによって、
神の怒りと裁きから救われるのです。
イエス・キリストが死人のうちから復活されたことにより、
キリストに属することによる救いを、確かな証しとされたのです。
神がご自身のひとり子イエス・キリストの生と死と復活とによって、
私たち人間にたいして ” 救い ” というものを明らかに示されたのです。
「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16〜17節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up: 22 October 2009.