暮らし向きを一変させるもの、それが福音である



何かがおおいかぶさっているようで重苦しく、
日々の様々な問題に悩み苦しみ暗く打ちひしがれている信徒が目立ち、
福音宣教への熱い思いが見られない日本の礼拝風景である。

孤独で寂しいと訴える人は実に多い。
それが日本の現実であろう。
それらの人たちをはげますのが福音の本質ではない。

福音は、経済や教育、医療などあらゆる分野に影響を与え、
大きく方向を転じさせるに足りるおどろきの情報である。
暮らし向きを一変させると言っていい。

しかし、教会の礼拝の説教においては解き明かされる機会は少なく、
信徒自身であっても、
福音についての明確な理解を深めようとはしない。

ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事・・・。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事を・・。

「わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16節・新共同訳聖書)

福音と私たちの日々の暮らしとは関係がないのだろうか。
日々の暮らしとは無関係だと思っている信徒も多い・・・。
私たちの思いや言葉や行為や行動に影響を与えているものを明らかにし、
そこからの解き放ちを導く・・・。


北白川 スー

関連記事・「こころの風景」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
Wrote up on December 11, 2014.