新しい展開へと移りたくはありませんか


 聖書・バイブルは、罪から来る報酬は死だと、

 そして、イエス・キリストにある命の霊の法則が、罪と死の法則から解放するとも語っています。


 「キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。

 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、

 罪と死との法則からあなたを解放したからです。」

  (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・8章1〜2節・新共同訳聖書)


 抜き差しならない状態におちいっている私たちを見れば、

 まさしく、差し迫った状態にあることを示しているのです。

 自分を苦しめている身の回りの問題から、

 現実に起きているさまざまな悲惨な出来事や、地球温暖化にいたるまで、

 それらにかかわっているのは、まぎれもなく人間です。

 混沌と混乱の中にどっぷりとはまってしまっている私たち、

 そこから逃げることも救われることもできない状態にあると・・・。

 そのような状態にしているのは、私たち人間が本性的に持っている性質にあるのだと・・・・。

 もしも、私たちが自分でしたくないことをしているのであれば、

 抜き差しならない状態にしたのは、それを行っているのは、

 私たちの心の中に住んでいる罪深さという本性なのです。


 では、そこから救い出されるにはどうすればいいのでしょうか。

 私たちの心の中に住んでいる罪深さという本性にたいして死ねば・・・、

 死んでしまった者は、罪から解放されることになります。


 まずは、自分は罪深い存在なのだと認めること。

 そして、自分自身の思いや言葉や行為などを改めること・・。

 つねに、自分というものは、あやぶいものなのだと、一歩も二歩も謙虚にへりくだって後ろに下がること。

 悔い改めて、大きく方向転換すること、思いや行為を大きく変えること・・・。

 つまりそれがキリストへの信仰なのです。

 イエス・キリストが、十字架刑により死に、そして葬られ、

 三日の後に復活した出来事を、よみがえられたことを信じることなのです。

 ”死者の中からの復活 ”ということを信じることなのです。

 イエス・キリストは、今も生きておられることを信じることなのです。

 そしてキリストと共に生きること、

 つまりイエス・キリストに聞き従って生きることなのです。


 自分自身が、キリストと共に死んだのであれば、キリストと共に復活・よみがえり・・、

 つまり、キリストと共に生きることになるのです。

 イエス・キリストが、つまり、ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、

 すべての人の罪を、その身に背負い、罪人として十字架の上で死なれたという出来事を、

 自分自身のこととして信じる信仰なのです。

 キリストが死なれたのは、ただ1度、罪にたいして死なれたのであり、

 キリストが生きたおられるのは、この世界を造られた神にたいして生きておられるのです。

 混乱と混沌とに満ちた、今の状態をつくり出したのは私たち人間ですから、

 この世界を造られた神にたいして罪を犯しているわけです。

 ですから、

 私たちも、この世界を造られた神にたいして和解することによって、

 今までの思いや行為を改めて、神に従って生きることによって、

 救われることになります。


 キリストへの信仰心を持つということは、

 罪深い性質にある自らを知り、

 罪の支配に、身を心を、ゆだねて流されないと自らの意志を持つということなのです。


 「罪が支払う報酬は死です。

 しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」

 (新約聖書・ローマの信徒へのパウロの手紙・6章23節・新共同訳聖書)


 復活の、死者からよみがえられたイエス・キリストを信じるということは、

 キリストを信じるまで支配されていた罪にたいして死ぬことであり、

 新しいキリストの法則の下で生きることなのです。


 「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者である。

 古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」

 (新約聖書・コリントの信徒へのパウロの第2の手紙・5章17節・口語訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up: 30 June 2008.