信仰者の居場所
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この日本において、
カトリックやプロテスタントなどの教会に所属している信徒たちの数といえば、
全人口の1パーセントにも満たない少数派です。
信者数は100万人と言われています。
その少数派のクリスチャンたちの居場所は、
自分の属する教会や家庭だけでしょうか。
そうであるならば、
ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事は意味を失います。
信仰者の居場所は、教会や家庭だけではなく、
信仰者がすでに、そこに置かれていることを知る場所なのです。
自分に与えられた場所なのです。
あなたを造られた創造主なる(神のわざ)に応えることのできる場所なのです。
信仰とは自己満足で終わるものではありません。
キリスト・イエスに出会って、死から生へと呼び出され、
世の中のむなしさから、
生きることへのゆるぎなき信念を手にしたはずです。
ボーン・アゲインしたはずです。
生まれ変わったはずです。
人は、どこから来て、どこへ行こうとしているのか分かったはずです。
人生のゴールは明確になったはずです。
今までの自分を振り返えることもできるはずです。
改めるところは改め、発想の転換さえできるはずです。
新たな活路を見出したはずです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章17節・新改訳聖書)
あなたは、
キリスト・イエスの十字架の出来事に捉えられ応答したはずです。
そのことによって、自由を手にしたはずです。
何ものにも捕らわれない自由を・・・・。
自由だけではなく、
すべての罪を赦され、神の子と認められ、永遠の命を与り、
イエス・キリストの十字架の出来事に答えたあなたの思いや言葉や行為行動は、
新たな創造への始まりを手にしたはずです。
信仰を持ったものの、なんら以前と変わり映えしないのなら、
あなたの信仰を疑ってみなければなりません。
あなたは変えられたはずなのですから。
主イエスと共に歩むことのできる人生を手にしたはずです。
あなたは、主イエスに聞いていますか。
従っていますか。
「実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)
日本において、
依然として少数派に甘んじているクリスチャンたちに問わなければなりません。
喜びをもってキリストの言葉を聞き、
なおかつ、行動をもって答えていますか・・・・・と。
家庭生活においても、社会生活においても、ビジネスにおいても。
北白川 スー
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Wrote up on January 13, 2017.